日常という名のジェノサイド

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「外国人排斥を許さない6・13緊急行動」への参加・賛同の呼びかけ

 すでにご存知の方も多いかもしれませんが、6月13日(土)に京都で「外国人排斥を許さない6・13緊急行動」(デモ)が企画されています。以下、情報を転載します。賛同者も募集中ですので、未見の方はぜひチェックをお願いします。私も賛同しました。

 2009年4月11日埼玉県蕨市で、不法滞在を理由として両親が強制送還され、日本政府により家族と別れて暮らすことを強いられた女子中学生の自宅・学校に押しかけるという卑劣なデモがありました。その内容は外国人を犯罪者と断定し、日本から追い出せという主張でした。主催したのは「在日特権を許さない市民の会在特会)」などです。

 今回その在特会などが、京都市外国人参政権に反対するデモをしようとしています。私たちは今回の彼らの行動が、京都にとどまるものではなく、また外国人参政権を巡る問題だけにとどまるものでもなく、日本に新しく現れた排外主義的な動きであると捉えています。今はまだ彼らの動きは大きくないものに見えますが、不況下においてファシズム外国人差別が肥大化した歴史を思い起こすとき、今回の動きを見過ごすことは出来ません。そこで私たちは今回彼らがデモをしようとしている6月13日に抗議の意味を込めて、「外国人排斥許さない6・13緊急行動」としてデモを企画しました。

 このような外国人排斥の風潮を許さないのだという強い意志を全国的に示すことが今必要とされているのではないでしょうか。時間が限られた中で恐縮ですが、本行動への皆様の参加と賛同を広く呼びかけます。

 つづきは↓から:
 http://613action.blog85.fc2.com/blog-entry-1.html

日常という名のジェノサイド

 ところで、「在日特権を許さない市民の会」の行動を「日本に新しく現れた排外主義的な動きと捉え」る見方は、半分は正しく、半分は正しくないと思う。

 確かに、「在特会」のようなあからさまなレイシスト集団が、自らの主張を「デモ」という形で大衆に訴えるために、3次元世界にデビューしたという点は、戦後日本において新しい現象と言えるかもしれない。一方で、日本に長年住んでいる外国人であれば、日本がレイシスト国家であるという、自らの日常的な実体験に裏打ちされた認識を持たずにいられる人は、ほとんど皆無ではないかと思う。

 日本がレイシスト国家であるという実感は、「在特会」の行動によっていっそう迫真性を帯びることはあっても、それらによって初めて生じるわけではない。これを「在特会」の側から見れば、かれらは自分たちの主張が日本社会で一定程度受け入れられる公算があると考えたからこそ、サイバースペースから街頭に進出してきたわけであって、ごく「普通」の日本人の価値観がレイシズムに染まっているのでない限り、かれらの公算はあらかじめ成り立たないということになる。

 そもそも、外国人の人権をまったく無視した「在特会」の示威行動――端的に言ってジェノサイドを志向している――を、「デモ」として容認することがレイシズムでないなら、何がレイシズムなのだろう?

 ジェノサイドはその遂行に必ずしも物理的暴力を伴うわけではない。そして、日本社会においてジェノサイドを遂行しているのは、「在特会」のような極端なレイシストだけでなく、ごく「普通」の日本人でもある。その典型が、「言語的ジェノサイド」である。以下、「ジェノサイド条約2条と文化的ジェノサイド」という論文から引用する。(強調は引用者による)

・・・言語とジェノサイドの関係を結びつけようとする「言語的ジェノサイド(linguistic genocide)」または「言語抹殺(linguicide)」という概念がある。現在、この「言語的ジェノサイド」または「言語抹殺」という用語は、社会言語学を始めとして、政治学や法学でも少しずつ使用されるようになってきているが、この用語の代表的な研究者としてあげられるのが、社会言語学・言語法研究を専門とするTove Skutnabb-Kangasである。彼女は、ある言語の強制によってマイノリティや民族のアイデンティティを抹殺することが「言語的ジェノサイド」または「言語抹殺」であるとするが、現代の政治下において「言語的ジェノサイド」の最たるものが、何よりも教育であると認識する。なぜならば、教育において主要媒体として用いられない言語を殺戮しているのは、正に公教育であるからである。

・・・以上のことを鑑みるならば、世界の大部分の国は日常茶飯事、子どもの言語的人権を蹂躙していることになり、これらの国は、教育制度を通じてジェノサイドに加担していることになるからである。

 この際に彼女が着目するのは、ジェノサイド条約であり、これに関連づけて「言語的ジェノサイド」に関わる定義を二種類あげる。一種類目の定義は、ジェノサイド条約2条(e)全体と(b)「精神的な危害」の部分である。公教育において、脅威にさらされた先住民族言語やマイノリティ言語を教授する学校やクラスといった代替手段が存在しない場合、多数者集団への言語的移行は自発的なものではなく強制的なものとなるため、上述のジェノサイド条約の条文が該当することになる。二種類目の定義は、ジェノサイド条約草案3条(1)である。当該条文に示される「禁止」の意味は、「直接的」と「間接的」双方を意味する。このことは、幼稚園や学校でマイノリティの教師がいない場合、そして、マイノリティ言語が教育の主要媒体として使用されない場合、その言語使用は日常会話や学校で間接的に禁止されることを意味することになるからである。彼女は、このような状況にある対象として、移民や難民の子どもやナショナルマイノリティの子どもの例を数十にわたってあげる。

 榎澤幸広:「ジェノサイド条約2条と文化的ジェノサイド」
 http://www.tsukuba-g.ac.jp/library/kiyou/2006/07.ENOSAWA.pdf

 上記から容易に導き出せることは、在日朝鮮人が民族教育を受ける権利を実質的に保障していない日本は、「教育制度を通じてジェノサイドに加担している」ということである。例によって日本はジェノサイド条約を批准していないのだが、「日本国憲法98条2項は「日本国が締結した条約及び確立された国際法規はこれを誠実に遵守することを必要とする」と定め、国際協調主義を宣言している」ことからも、「ジェノサイドの禁止に対して国際的責務を負うことになる」と読むのが妥当だろう。

 日本社会が、カルデロン一家の長女からタガログ語を奪ったように、アイヌ語を絶滅の淵に追いやっているように、公教育を通じて「移民や難民の子どもやナショナルマイノリティの子ども」から、かれらの言葉を奪い取ることは、どんな理由を持ち出したところで正当化することはできない。同じ理由から、かれらにとって唯一の自然言語となりうる手話をろう児から奪う「普通教育」を行うことも許されないだろう。

 こうした公教育のあり方を支えているのは、「在特会」などのごく少数のレイシスト集団ではなく、日本社会において圧倒的多数を占める日本人マジョリティである。外国人に対する排斥が常態化している日本社会では、あえて「在特会」の主張に賛同するまでもなく、マジョリティはレイシストたりえるのであって、「在特会」を批判することが「左翼」的であり「リベラル」であるといったような幻想は捨てなければならない。

「唯一の被爆国」は北朝鮮の核実験を非難できるか(3)

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 だいぶ間が空いてしまったが、前回の続きから。

「ああ、日本という国は…」

 せっかくなので、先週号(5/27号)の『マガジン9条』の「コラムリコラム」も、まとめて批判しておく。

 コラムリコラムというものにきちんと目を通したのは初めてなのだが、「放光院+α」という執筆者*1によるこの連載は、「マガ」と「ジン」という架空のキャラクターによる対談形式を取っている。

 架空対談といえば、佐藤優週刊金曜日誌上で繰り広げる「佐藤優 ××と語る」というカルトじみた企画(××にはマルクスやらエンゲルスやらムッソリーニやらが入るので、佐藤は死者を騙る怪しげな霊媒師のようなものである)がそうであるように、対等な立場で他者と論争をしようとしない、腐った言論「業界」人の必殺技としても定着しているように思う。もっとも、佐藤優言論の自由そのものを否定しているのだから、もともと言論人でも何でもないのだが。

 話が逸れてしまったが、以下が問題のコラムリコラムである。

ああ、北朝鮮という国は…

マガ 「そんな揺れる朝鮮半島情勢に油を注ぐような、25日の北朝鮮の核実験。なんという… 」

ジン 「ほんとうに困った国だ。いったい何を考えてるんだろう。どうも、金正日総書記の健康不安が背景にあるようだ。とにかく一刻も早くアメリカとの単独交渉に入りたい。そのためにはもう、他の国の事なんか構っちゃいられない。6カ国会議なんか、完全無視。あまりの駄々っ子ぶりに、北朝鮮に大きな影響力を持つといわれる中国さえ、頭を抱えている状況らしい。 」

 日本は分別のある大人であり、朝鮮は出来の悪い子どもである、というおめでたい世界観は、端的に言って、明治以降の日本人が慣れ親しんできた妄想である。こうした妄想は、「先進国」(新旧植民地主義国)の間では一定の共感を呼ぶこともあるかもしれないが、アジアでは相手にもされないだろう。梶村秀樹は、太平洋戦争の時期における日本人の朝鮮観について、次のように述べている。

 「「内地人」は兄貴分である。弟分で一段下のものである朝鮮人は、導かれるべき存在である。一段下とみなして露骨に侮蔑するか、優越者の立場から恩恵がましくいろいろな対応をするかは、形のあらわれ方は違っても、根本は同じであるわけです。この時代においては、たてまえとしては、露骨に差別することよりは、いわば優越者として、日本化するように導いてやるべきだ、「弱者」である朝鮮人に対してそういうおおような態度をとるべきではないかということが、政策的に強調された。こういうふうに構えることを日本の民衆に要求した。しかしもちろんこの時代も実体としては露骨な差別もすさまじかった。「かわいい弟分」をもっとも危険な労働の場にほうりこむことが、どうしていたわりなどでありえましょうか。しかも日本の民衆は無意識のうちにみずからが、このたてまえに従って朝鮮人に対しているかのごとく錯覚ないし自己欺瞞するようにさえなった。歴史の中で身についたこんな感性が、われわれが知ろうが知るまいが、戦後にも引き継がれてきているように思われるのです。」*2

 「あまりの駄々っ子ぶりに、北朝鮮に大きな影響力を持つといわれる中国さえ、頭を抱えている状況らしい」というあたりにも、適当な決めつけ感が漂っているが、北朝鮮バッシングに現を抜かして六カ国協議をことごとく妨害してきた日本に対しては、中国どころか、ほぼすべての当事国が「頭を抱えている」のではないか。

マガ 「それにしても、この機に乗じて、またもや自民党筋や右派論者からキナ臭い意見が聞こえ始めた。敵基地先制攻撃論とか、ついには日本核武装論までね。 」

ジン 「それだけはなんとしてでも防がなければいけない。日本の政治家がそんなことを言い出すだけでも、アジアに不安定要因を作り出す。それに気づかないのかなあ、この人たちは。アメリカだって、日本の核武装なんかには、絶対に同意しない。そんなことを声高に言い出せば、日米はむしろ敵対関係に陥りかねない。つまり、今まで日米同盟一辺倒できた人たちが、今度は核武装を言うことでアメリカを敵に回すことになる。そんな矛盾だらけの論理に気づかない程度の政治家たち。 」

 『マガジン9条』が「それだけはなんとしてでも防がなければいけない」と考えているのが、敵基地先制攻撃や核武装だというのだから、今さらながらお寒い話である。「護憲派」として譲れない一線が敵基地先制攻撃や核武装への異議でしかないのなら、それらを主張しない人間は誰であれ「護憲派」であり、そうした人々は「護憲」のもとに「大同団結」できるはずであるということになる。

 言うまでもないが、こうした「護憲派」の定義は、女性を蹴り殺さない男性は誰もが「フェミニスト」なのだから、そうした人々と手を取り合ってフェミニズム運動を盛り立てていこう、という場合の「フェミニスト」の定義と同じくらい、激しく破綻している。あたかも、たいていの人間が「護憲派」であるかのような、こうした定義の空洞化は、運動全体を空洞化し、実質的な護憲派を運動内部のマイノリティとして回収し、孤立させる効果をもたらす点で、有害極まりないものだと思う。

 核武装に反対する根拠が、「アジアに不安定要因を作り出す」からであり、「アメリカだって・・・絶対に同意しない」からだというのも、実にすさまじい。この先の文章を読む限り、「アジアに不安定要因を作り出す」というのは、日本こそがアジアの「不安定要因」であるという自戒などではさらさらなく、日本国内で展開される核武装(論)によって、中国や北朝鮮、韓国といった国々で「反日ナショナリズムが高揚し、そうした国々が「アジアに不安定要因を作り出す」ということを言っているように思われる。

 「アメリカだって・・・絶対に同意しない」というくだりにいたっては、まるで米国こそが最大の護憲勢力であると述べているようなものである。「護憲」までもが米国頼みだというのは笑える話だが、米国が憲法9条を守ってくれるということなら、もう『マガジン9条』は廃刊にして、「護憲派」もこのまま流れ解散すればよい。そうなったところで、別に当事者以外は誰も困らないだろう。

マガ 「そして、またもや偏狭なナショナリズムに煽られた人たちが、在日の朝鮮人や韓国人を襲ったりする。北朝鮮は結果として、自ら同胞を傷つけることに手を貸しているとしか思えない。ほんとうに困った国だな。 」

 「偏狭なナショナリズムに煽られた人たちが、在日の朝鮮人や韓国人を襲ったりする。北朝鮮は結果として、自ら同胞を傷つけることに手を貸しているとしか思えない」

 ・・・思わねーよ。ZEDさんから以下のコメントをいただいたが、まったく同感である。

 「在日朝鮮人が抑圧されるのは飽くまで北朝鮮が悪く、「在日の朝鮮人や韓国人を襲ったりする」「偏狭なナショナリズムに煽られた人たち」や日本政府の差別的な姿勢を全く問題にしてません・・・要するにマガジン9条はこう言いたいのでしょう。「在日に対する差別や抑圧・暴力は北朝鮮が悪いのであって、日本人及び日本政府は悪くないし差別もしていない」自分達の後ろめたい差別根性を免罪してごまかす為に北朝鮮を口実にする、最低な連中です。」

 自分たちの蛮行の責任を朝鮮になすりつけることに関して、日本ほど最低な歴史を持ち、しかもそれを日々更新している国は、他にはちょっと見当たらない。以下は、梶村秀樹による1986年の文章だが、23年後の今日ではいっそう最低ぶりに磨きがかかっているように思われる。なんといっても、来年度から中学校で使われることになる(今年の8月15日までに採択される)歴史教科書9冊のうち、東京書籍と扶桑社の2冊には安重根の名前さえ載っていないのだから。

 「天皇が「人間宣言」をしたという事実を記すことをその神聖性をけがしはしないかと恐れてためらったほどの、猛烈な天皇崇拝主義者たちが執筆した「日本を守る国民会議」の高校日本史教科書が、隣国との不協和音をかもしつつも、強引に登場してこようとしている。」

 「その「日韓併合」のくだりをみると、「明治四十二年(一九〇九)、前統監伊藤博文満州視察の途中、ハルビン駅頭で、韓国独立運動の壮士安重根に射殺され、日韓関係は最悪の事態をむかえ、ここに併合問題は急速に進展した。翌年八月、両国間で併合条約が調印され、日本は統治機関として朝鮮総督府をおいてすべての政務を統轄することとなった」と記述されている(原稿本による)。つまり、ここでは侵略はもちろん、植民地化という言葉すら意識的に避けられている。「併合問題」はごくあたりまえのことのように、だれのせいでもなくおのずから進行し、それが急進展したのはむしろ安重根のせいだといっているわけだ。」*3

 ちなみに、「日本を守る国民会議」は、現在は「日本会議」として、佐藤優とも絡み合いつつ、ますますご盛栄でいらっしゃるらしい。

 きまぐれな日々:「田母神俊雄の「コミンテルン陰謀論」は「日本会議」公認つき」
 http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-785.html

ジンオバマ大統領の核廃絶政策にも、水を差している。日本は唯一の被爆国としても、絶対に核武装論なんかか言い出すべきじゃない。より一層強く、核廃絶を大きな声で世界に向けて発信しなければならない。それが、原爆で亡くなった人たちへの、我々が負わなければならない最低限の義務であるはずだよ。 」

 コラムリコラム:「第3回 おお、「貧者の埋蔵金」!?」
 http://www.magazine9.jp/koramuri/090527/

 「唯一の被爆国」とやらの問題については、次回から見ていくことにするが、北朝鮮の核実験が「オバマ大統領の核廃絶政策にも、水を差している」という空疎な言説には、日本の「平和主義」の内実が端的に示されていると思う。

 思うに、こういう虚構を信じている(信じようとしている)人たちは、北朝鮮が核実験をしたことにむしろ感謝するべきなのではないか。なぜなら、そう信じることによって、核廃絶が挫折する原因を、北朝鮮に一方的に転嫁することができるから。そして、自分たちとオバマの欺瞞に向き合うことを回避し、「平和主義者」として自己肯定することができるから。ある意味では、北朝鮮に対する「義憤」の強さは、自己が抱える欺瞞の強さに比例している、と言えるかもしれない。

 それにしても、「悪いのは全部北朝鮮なんです」というのは、「護憲派」としてあまりにも冴えない末路ではないだろうか?ってまだ末路じゃないんだっけ?

差別意識を克服しようとしない「護憲論」

 ところで、『マガジン9条』には、「みんなのこえ」という読者投稿欄がある。前述の「コラムリコラム」に関する投稿もいくつかあるので、ざっと見ていきたい。

TY生さん(69才・男性・三重県

「コラムリコラム」欄に北朝鮮の核実験の機に乗じて

・・・米国の「核の傘」に安全保障を依存して米国に対して核軍縮や核の先制不使用宣言を求めることをしない政府は、核廃絶を世界に呼びかけながら、自らは核の抑止力を是認する矛盾した考えで、正真正銘の核廃絶論でない。

 オバマ大統領は、武器に訴えようとする呼びかけは、武器を置くように呼びかけるよりも、人々の気持を湧き立たせる。だからこそ平和と進歩に向けた声は、共にあげなければならないと述べた。至言である。進歩に向けた声、理念は日本の平和憲法の理念である。

 みんなのこえvol.189:「5月27日から6月2日に届いたご意見から」
 http://www.magazine9.jp/minna/maru_189.php

 前半はほぼ同意するが、後半は意味がわからない。米国は、イラクでもアフガニスタンでも、その他世界のどこでも武器を置こうとはしていないし、まるでオバマが「日本の平和憲法」の代弁者であるかのような発言は、ブラックユーモアとしては実に機転が効いていると思うが、本気で言っているなら噴飯物である。

 【6/7 追記】この部分は誤読かもしれません。kusukusuさんから以下のご指摘をいただきました。
http://d.hatena.ne.jp/m_debugger/20090604#c1244189540

 以下、益岡賢さんの「イラク侵略から6年 ファルージャ虐殺から5年」から引用する。

2009年3月20日。米国が国際法に違反し、世界中の人々の反対を無視してイラクに侵略してから6年。夕方6時のNHKニュースは、米軍撤退へ向けた「イラク治安部隊」への「治安の移譲」状況を報じていた。米軍撤退後、イラク治安部隊は治安を担えるのかという問いを立てて、自らの知的崩壊を如実に示しつつ。

「俺がいないとお前はダメなんだ、お前には俺が必要だ」と、金もあって力も強いストーカーが言い、相手を拉致拘束して虐待を始める。ついでに相手の財産も略奪して。

このストーカー氏のために「やはりそうですよね、ストーカーさんがいないとあの人はやってられないでございますよね」とゴマをスリつつコンビニに買い出しに行ったりするトリマキ氏がいる。たとえばニッポンの小泉純一郎氏とその取り巻きと多くの大手メディア。

で、ストーカー氏が略奪も済んだしわずらわしくなってきたから拘束を手抜きしようかなと考え始めたときに漏らした言葉が「俺がいなくてお前がやっていけるかどうか心配だ」。トリマキ氏はすかさず「そうですよね、やはりストーカー氏がいなくなるとあの人がどうなるかわかりませんよね、心配です」。

いや、何はなくともストーカー氏による拉致拘束と虐待がなくなるはずだし、食べ物をストーカー氏に提供されていたのは拉致拘束されてたからだし、その金も実は(少なくとも一部は)もともと自分のものを略奪されたわけだし。

いない方がはるかにいいんですが。法的にはストーカー氏に賠償責任があるんですが。それでも殺された人と破壊されたものは戻ってこないんですが。

 益岡賢のページ:「イラク侵略から6年 ファルージャ虐殺から5年」
 http://www.jca.apc.org/~kmasuoka/places/iraq090322.html

 再び「みんなのこえ」に戻る。

十文字(衆愚代表)さん(34才・男性・沖縄県

このままじゃ、憲法9条は「コラ、ムリだ」

 ・・・現在の所、最大のアジアの不安定要因は、言うまでもなく北朝鮮の核やミサイル開発であり、平和主義者は、それを打開する手立てすらも見出せません。日米ではなく、北朝鮮にメンツを潰された中国の武力介入で事態を打開する可能性もあります。

 9条の精神に最も試練を与えているのは、北朝鮮です。そして、その試練に耐えられなければ、9条は日本人には”もったいなかった”ことになるでしょう。

 「北朝鮮にメンツを潰された中国の武力介入で事態を打開」
 「北朝鮮にメンツを潰された中国の武力介入で事態を打開」
 「北朝鮮にメンツを潰された中国の武力介入で事態を打開」

 ・・・大丈夫か?もう脳を「打開」した方がいいんじゃ・・・。

さくらさん

北朝鮮の核実験に思うこと

 北朝鮮の核実験については、断固非難します。こういうことがあると、核武装の「議論」を、声高に主張する政治家が出てきます。もし、日本が核武装をするとすれば、国際原子力機関IAEA)の査察を拒否、核拡散防止条約(NPT)を脱退、核実験の実施という段取りになると思います。結局、核武装論者が忌み嫌う北朝鮮と同じあゆみです。

 北朝鮮と同じ事をすればどうなるか、簡単に分かると思うのですが…。

 北朝鮮と同じ」にはなりたくないという差別意識に訴える「護憲派」は、排外主義者に語りかける一方で、北朝鮮朝鮮人を対話の相手と見なすことはないのだろうな、と。

三十郎さん(31才・男性・東京都)

また先制攻撃論か?

 ため息が出ます。(北朝鮮に対する)先制攻撃論を唱えている人たちは、本当に国益のことを考えているのかね。反撃の口実を与えるだけではないか。だいたいこの手の主張をする評論家は、少なくともテレビ番組では他人の発言を聞くことができない。自分の健康や財産または家族を喪う可能性のない人たちしかそのようなことを主張できない。最近この手の発言する女性論者もいますね。戦場に行く必要ないですから。イスラエルみたいに。

 愛国主義的「護憲論」の典型。最後の方は、なんだか日本がイスラエルのような国になればよい、と言っているようにも思えるが、日本では「戦争に行く必要ない」のは男性も同じなのだが。男女とも徴兵制があれば女性が好戦的にならないというジェンダー観は、イスラエルを見ても明らかに間違っているのだが。

5Bさん

今週の『マガジン9条』

 いつも面白い記事をありがとうございます。ただ、北朝鮮が核実験を起こすに至った過程を作った要因として、米国や日本の強硬路線があるのではないかと思い、いろいろ調べようかと思っているのですが、いきなり「やらかしてくれました」というのでは商業メディアの報道と何も変わらないのではないでしょうか。また、オバマ大統領の「核廃絶」宣言を手放しで褒め称えるのは時期尚早だと直感的に私は思っています。

 ・・・普通すぎてむしろびっくり。

 次回に続く。

*1:「放光院+α」というペンネームの人が一人で書いているのか、それとも「放光院」というペンネームの人とその他(+α)の人が複数で書いているのかは、よくわからない。

*2:梶村秀樹、『梶村秀樹著作集 第一巻 朝鮮史と日本人』、明石書店、1992年、p.289

*3:前掲書、p.267

「唯一の被爆国」は北朝鮮の核実験を非難できるか(2)

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 前回の続き。

護憲派」によるメモリサイド(記憶の抹殺)

「唯一の被爆国」というウサンくさい(しかも事実とも違う)言い回しは、批判にさらされてとっくに消えたかと思っていたが、まだ生き残っていることを知って唖然。

 mujigeさんから上のブクマをいただいたように、今回は、

  • そもそも日本は「唯一の被爆国」ではない
  • そもそも被爆「国」って何だよ

という話題から始めるつもりだった。ところが、昨日のエントリーをアップした直後に読んだ『マガジン9条』が、あまりにも腐り切り尽き果てていたので、予定を変えて『マガジン9条』タグを新設してみた。以下、『マガジン9条』の第209号(2009年5月27日号)を見ていくことにする。

今週の『マガジン9条』
核廃絶への道を妨害する実験

 またあの国が騒ぎを起こしてくれました。まったく、何を考えているのか、自ら孤立への道を突っ走っているとしか思えません。金正日総書記の健康不安が背景にあるとか、後継者問題との絡みとか、いろんな情報が飛び交っていますが、やはり対アメリカの思惑から出た核実験なのでしょう。

 念のため書いておくが、『マガジン9条』の「9条」は、日本国憲法の9条を指しており、有事法制関連法の9条*1を指しているわけではない・・・と思う。

 それはそれとして、『マガジン9条』編集部によるこの文章には、朝鮮民主主義人民共和国という正式名称はもちろんのこと、「朝鮮」や「北朝鮮」という略称、さらには「北」という蔑称さえ、一切出てこない。どうやら、『マガジン9条』の「護憲派」(または「反改憲派」)の人々は、北朝鮮を名指すことすら、避けたいようなのである。北朝鮮を「あの国」呼ばわりして何ら恥じない連中が呪文のように唱える「護憲」(「反改憲」)など、もはや批判の対象とする以外に、読むべき意味は何もない。

 『マガジン9条』に限らず、北朝鮮の核実験に憤慨してみせている人たちは、北朝鮮による核実験という非日常に対して「騒ぎを起こして」いるだけで*2、自分たちの日常――すなわち日本が米国の核の傘の下に居座っていること――に対しては、ほとんどと言ってよいほど異議申し立てをしていないように見える。つまり、自分たちが戦後も絶え間なく(在日朝鮮人を含む)朝鮮人生存権を脅かしていることは、何の問題もない、という認識なのである。こんな「思惑」を持つ連中が「核廃絶」を主張できるというのは、日米安保を容認あるいは肯定しながら、憲法9条を手放しで礼賛(「人類にも希望があったんだ」とかなんとか)するようなものである。って全然比喩になってないのが怖いんだが・・・。

 それにしても、オバマ大統領が提唱した核廃絶に向けて、世界が動き始めたこの時期に核実験とは、それこそ世界規模のKY(←私の大嫌いな言葉ですが)国家というしかありません。とうてい許せることではありません。

 オバマプラハでの演説は、真に受けたところで、核廃絶に対するやる気のなさを確信させるような内容である。そもそも、「取り違えのないように願いますよ:核兵器が存在する限り、我々(アメリカ)はどんな敵でも抑止できるだけの、しっかりと保護された、効果的な核兵器の備蓄を維持して、我々の友好国を守ることを保証しましょう」などと言っている「スマートな帝国主義者に賛同している時点で、核廃絶などできるはずがない(する気もない)と、自らアピールしているようなものではないか。

 「オバマ氏は大統領に当選する以前から包括的核実験禁止条約の批准に前向きだったとして彼を褒める人がありますが、対立候補共和党マケイン氏もその方向に傾いていたことを思い出して下さい。キッシンジャー一派に率いられた米国の核政策転換の大きな理由の一つは、アメリカが自信を持って実行しているストックパイル・スチュワードシップ・プログラム(Stockpile Stewardship Program, 備蓄核兵器保全管理プログラム)というものにあります。クリントン時代に始まった未臨界核爆発実験に超高速巨大コンピューター・システムを組み合わせたシミュレーション技術の完成で、アメリカは実際の爆発実験を必要としなくなったのです。このプログラムで手持ちの核兵器に磨きをかけ何時でも使用可能な状態に保つ一方、こうした高度技術をまだ持っていない後発の核保有国を包括的核実験禁止条約で締め上げる方がアメリカにとって都合が良くなって来たのです。オバマ大統領の“核廃絶”のジェスチャーにはヒロシマナガサキの罪に対する痛みなどひとかけらも含まれてはいません」

 私の闇の奥:「オバマ大統領は本当に反核か?」
 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/04/post_ddd0.html

 北朝鮮が核実験に踏み切ったのは、オバマの演説をスルーするほどKYだったからではなく、まさに日本が誤解している(したがっている)オバマのメッセージを正しく受け取ったからこそだろう。もっとも、それ以上に大きな原因は、先月の北朝鮮人工衛星打ち上げをめぐる日本の対応だったと思う。自国による常軌を逸した対北朝鮮強攻策が相手国に与える影響を想像しようともしない日本の方こそ、「世界規模のKY国家」である。

 「コラムリコラム」でも触れているようですが、日本ではすぐに反応して“核武装論”や“敵基地攻撃論”、“先制攻撃論”などと物騒な物言いの政治家や評論家などが出始めました。

 これらの論は威勢はいいのですが、世界の中での日本の地位を貶める結果になることは明白です。戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジアにおいて、またもや日本が軍事国家への道を歩み始めたか、という疑念を持たれることは、絶対に避けなければならないと思うのです。

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 日本国憲法前文の一節です。

 この「コラムリコラム」とやらが、またひどいことになっているのだが、その前に。

「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジア」
「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジア」
「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジア」

 ・・・・・・どうやら『マガジン9条』の「護憲派」(「反改憲派」)の人々にとっては、2000万人ものアジアの民衆を殺戮した、日本の植民地支配・侵略戦争の記憶は、近い将来においてアジアで「完全に払拭される」ことが既定路線なのであり、しかもそれが望ましいとさえ考えられているようなのである。ここで言う「アジア」には日本は含まれていないだろうから、この人たちは、日本ではすでに「戦争の記憶」が「完全に払拭されている」と認識していることになる。

 したがって、ここで言う「戦争の記憶」とは、広島・長崎といった、日本人が被害者性をアピールできる「戦争の記憶」ではなく、アジアの民衆が繰り返し想起する――要するに日本/日本人にとって都合の悪い――「戦争の記憶」であるということになる。

 「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジアにおいて、またもや日本が軍事国家への道を歩み始めたか、という疑念を持たれることは、絶対に避けなければならないと思う」という主張は、日本の核武装と先制攻撃体制を可能にするにはアジアの民衆にメモリサイド(記憶の抹殺)を仕掛けなければならない、という主張と紙一重である。

 あるいは、この主張は、紙一重どころの話ではなく、「護憲派」(「反改憲派」)から核武装論者への「連帯」の表明でさえあるのかもしれない。『マガジン9条』が、「“核武装論”や“敵基地攻撃論”、“先制攻撃論”などと物騒な物言いの政治家や評論家」たちに向かって、こう呼びかけていると考えたら、どうだろう。「そういうことは、日本に対して戦後補償を訴える、アジアのうるさい被害者たちが死に絶えてから、一緒に考えていきましょうね」と。言うまでもなく、日本はすでに世界有数の軍事大国なのであって、核武装論や先制攻撃論をもって、「またもや日本が軍事国家への道を歩み始めたか、という疑念」に初めて駆られる人間が、アジアに存在するとはとても思えない。『マガジン9条』に代表される日本の「護憲派」(「反改憲派」)ジャーナリズムを除いては。

 次回へ続く。

*1:例えば、「政府は、武力攻撃事態等に至ったときは、武力攻撃事態等への対処に関する基本的な方針(以下「対処基本方針」という。)を定めるものとする」(武力攻撃事態対処法)など。

*2:ただし、北朝鮮バッシングは日常化している。

「唯一の被爆国」は北朝鮮の核実験を非難できるか(1)

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北朝鮮バッシングは「フェーズ5」:震源地・日本より

 25日に北朝鮮が行った地下核実験をめぐって、北朝鮮バッシング(「フェーズ5」*1)が震源地・日本各地で猛威を振るっている。

 例によって、翌朝には各紙が2段ぶち抜きで北朝鮮バッシング社説を組んでいるが、どれも変わり映えのしない内容で、ハンバーガーとハンバーガーとハンバーガーとハンバーガーとハンバーガーが並んでいるような感じである。新聞社も最近は不景気らしいから、いっそのこと、もう全紙が合併したらいいんじゃないだろうか。少なくとも、北朝鮮関連報道については、「「朝鮮のやることはすべて理解できず、許せない」という差別的・植民地主義的思考」によって以前から大同団結しているのだから、社説が全紙共通になったところで、実害を被る読者がいるとも思えない。

 北朝鮮バッシングによって大同団結しているのは、メディアだけでなく政党も同じである。26日から27日にかけて、衆参両院で、北朝鮮の核実験を非難し、北朝鮮への制裁強化を政府に求める北朝鮮核実験抗議決議が全会一致で採択された。各政党もそれぞれ声明や談話を発表している。実質上の対北朝鮮共同戦線が張られているのである。

 昨日、共産党の党員たちが駅前で街頭演説と署名の呼びかけをしているのを見かけたが、内容は、上の談話の通り、北朝鮮をひたすら一方的に非難するだけのものだった。選挙も近いし、ここで北朝鮮を叩いておかないと票が取れないという計算もあるのだろうが、対北朝鮮強硬論を望む有権者は、そもそも最初から共産党など選ぶはずがないだろう。まさに捕らぬ票の皮算用である。

 ちなみに、どうでもよいことだが、一緒にいた友人が受け取ったビラ(縦書き)を見せてもらったところ、なぜか句点や括弧のところだけ文字方向が横になっている箇所があり、右下に来るはずの句点が左下に来ていたり、括弧が90度回転していたりという、かなり残念なレイアウトになっていた。きっと、この人たちは、北朝鮮をバッシングするためだけに、慣れないパソコンの前で何時間にも及ぶ苦節をなめたのだろうな、と他人事として思う。まるで『プロジェクトX〜挑戦者たち〜』のような、あまりにも日本的な「美談」だな、と。

 というのは別にどうでもよい話である。それにしても、日本が被害者意識を振りかざして北朝鮮の核実験を一方的に非難することと、イスラエルパラノイア的被害者意識を掲げてハマスのロケット弾をののしることの間には、一体どれだけの違いがあるのだろう?

 そもそも、浅井基文さんが指摘しているように、4月13日の国連安保理議長声明を受けて、「朝鮮が6者協議離脱及び核兵器開発の再開を表明したことは、声明に対する対抗措置としては当然」のことではないのか。なぜ、今さら「遺憾の極み」などという、白々しい「抗議」ができるのか?あまりにも「遺憾」の内容が薄っぺらすぎじゃないのか?

朝鮮民主主義人民共和国(以下「朝鮮」)が14日の外務省声明で核兵器開発の再開と6者協議からの離脱を表明したことは、事前の予告通りの対応であり、この議長声明の内容からすれば、当然の行動だったと言わなければならないでしょう。朝鮮が強硬な対抗措置を取るだけの内容を声明が持っていたことは間違いないことだと思います。

 21世紀の日本と国際社会:「朝鮮の「打ち上げ」に関する国連安保理議長声明」
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/282.html

 ところで、今回の北朝鮮の核実験に対しては、広島・長崎の被爆者からも強い非難の声が上がっている。

 中国新聞:「核廃絶の機運に冷や水 広島・長崎の被爆地の憤り、激しく」
 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200905250213.html

 けれども、北朝鮮の核実験を、「唯一の被爆国」という立場から非難しようとする言説は、果たして核廃絶の実現を後押ししてくれるのだろうか?結論から言えば、私は、日本が「唯一の被爆国」として、被爆体験の語りを占有していることこそが、核廃絶を実現する上での最大の障壁(のひとつ)であると考える。そして、それは北朝鮮による核実験とは比べ物にならないほど、核廃絶をめぐる致命的な問題である、と。

 次回に続きます。

*1:2カ国以上でヒトからヒトへの感染が確認される段階

「外側」になどいないでしょう。あなたも私も。

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 id:kinyobiさんからお返事いただきました。ありがとうございます。

 『人体の不思議展』の不思議:「m_debuggerさんへのお返事」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090524/1243172251

 まず、念のため書いておきますが、私はkinyobiさんがブログを書くにあたって『週刊金曜日』の「上司の指示を受けたり、チェックを受けたり」しているとはまったく考えていませんし、そう考えたりしたこともありません。私がkinyobiさんを『金曜日』編集部と同一視して、批判をぶつけているとお考えになった方もいる(多い?)と思いますが、それは誤解です。ただ、そうした誤解を招いたことについては、私の書き方にも原因があったかもしれません。その点については、kinyobiさんにここでお詫びします。

 で、どうして「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」というkinyobiさんの発言にここまで私が反発しているのか、ということですが。

 簡単に言うと、理由は二つあります。一つは、kinyobiさんが5月1日のエントリー*1で、「週刊金曜日の記事を理由にした添乗員の不当解雇事件にご支援を!」という『金曜日』の「おしらせブログ」の宣伝をしていること。もう一つは、『金曜日』で連載中の「人体の不思議展」シリーズを紹介していること、です。

 上記の宣伝と紹介は、それ自体は実に結構なことで、私も応援したいと思っています。ですが、kinyobiさんのブログを読んでいて、同時に思わざるをえないのは、こうした取り組みの誠実さをパフォーマティブに裏切っているのが、「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」という一言であり、そのダブルスタンダードは批判に値するということです。

 つまり、こういうことです。

 (1)阪急トラベルサポートによる社員への弾圧と、岩波書店による金さんへの弾圧は、いずれも内部告発で、具体的な証言をしているのは被害者だけです。二つの社内弾圧をめぐる大きな違いは、前者はメディア(『金曜日』)が被害者サイドに立って報道し、後者はメディア(『週刊新潮』)が加害者サイドに立って(虚偽を含む)報道をしたという点です。『金曜日』についていえば、前者は取材をしたけれど、後者は取材をしていない、という点が最大の違い(の一つ)です。

 ですから、金さんの証言が「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」というのであれば、単に取材をすればよいのではないでしょうか。金さんも岩波書店もメールアドレスを公開しているので、両者に問い合わせをすることくらい、その気になればできないことでもないでしょう。これは『金曜日』の編集に関与できるかできないかに関わらず、個人として可能な行為だと思います。

 kinyobiさんは、「週刊金曜日の記事を理由にした添乗員の不当解雇事件にご支援を!」という呼びかけを宣伝する一方で、岩波書店による金さんへの弾圧については、「金さんの事例で証言者は金さんだけです」と突き放していますよね。では、かりに阪急トラベルサポートの弾圧事件の証言者が一人だけだったなら、あなたは「阪急トラベルサポートの事例で証言者はこの人だけです」とブログに書いたりしましたか?おそらくそうではないでしょう?

 岩波書店による金さんへの弾圧について本当に知ろうとする気があるのなら、証言者が一人だとしても(だからこそ)、切断処理するべきではないと思います。まして、取材をする前から「証言者は金さんだけ」と断定することもできないのではないでしょうか。

 (2)そもそも、「人体の不思議展」は、「献体」についての証言者がまさに不在であるところから、取材が始まったのではないですか?「人体の不思議展」の紹介を地道に続けていらっしゃるkinyobiさんが、岩波書店による金さんへの弾圧については、どうしてこれほど距離を置けるのか?私には正直わかりません。

南京大虐殺がいわば公然と行われた犯罪で証拠も多いのに対し、企業内いじめというのは隠されながら行われ、証拠も少ないんですから。

 「人体の不思議展」の取材がそうであるように、「証拠」というのは、それを必死に伝えたり、掘り起こしたり、記憶したりしようとする当事者や関係者、ジャーナリストらの努力なしには語れないものではないでしょうか。それは、南京大虐殺についても基本的には同じであると思います。

金さんは『金曜日』の内部事情などに関してかなり想像力豊かな推測を何度もされているので、社内弾圧についてもそうした推測で発言していないか?という疑念を捨て去ることが出来ないんですよね。私は。

 『金曜日』の内部事情に関する金さんの推測が外れているというなら、それは具体的に指摘をすればよいのではないでしょうか?その方がお互いのためになるかと思いますが。(指摘済みでしたら申し訳ありません。)

片山さんが“人間として「大事」なのは、「建前」よりも実際の行動ではないのか!。”とおっしゃっている部分が誤解ではないかなーと。
私とtoledさんの会話で「建前」が指していることは、岩波は社員の「思想・良心の自由」「言論・表現の自由」を守れ!!ってことだったからです。分かり難い文章だったよなーと反省しています。

 上記の箇所について、私は「建前を愚直に守ることが大事になっている」という意味だと理解しましたが、片山さんは別の解釈をしている、という点については同意します。けれども、片山さんがおっしゃっているのは、それだけではないと思います。

 『金曜日』編集部が、岩波書店による金さんへの弾圧を報道することは、まずありえないでしょう。なぜなら(と書くのもバカバカしいですが)、岩波書店が金さんを弾圧しているのも、『金曜日』が弾圧を報道しないことも、同じ理由(<佐藤優現象>)によるからです。そして、<佐藤優現象>の主翼を担っているのが『金曜日』である以上、不本意かもしれませんが、kinyobiさんは「外にいる」わけではありません。もちろん私自身もです。

 だって、<佐藤優現象>を支える、日本社会に蔓延するレイシズムの外側になど、いないでしょう?あなたも私も。というか、私たちこそが、その中心にいるのではないですか?ただ、その円がマジョリティには不可視だというだけで。

 片山さんが「まるで他人事のような!ものいい」と言っているのは、こういうことだと私は思います。もっとも、私は片山さんを代弁できるわけではないので、別の含意があるかもしれませんが。

他の会社の事についてとやかく言える立場じゃないので回答は差し控えさせていただきます。

 「人体の不思議展」シリーズでは、「日本アナトミー研究所」が情報公開や質問への回答を拒否していることをもって、疑惑を裏づける「証拠」にしていたはずですが・・・。くどいようですが、こういうのって、ダブルスタンダードじゃないですか?

*1:トラックバックがうるさくなってしまうと思うので、リンクは貼りません。

追記:教えて!id:kinyobiさん

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 前回のエントリーに対して、id:toledさんから以下のブコメをいただきました。

めちゃくちゃ。強者の岩波が反論していない以上、金さん側の言い分をそのまま信じるべきって話の流れじゃん。だから金曜日・岩波ボイコットが課題。企業の悪を撃つ標的に一労働者を選ぶって陰湿。代償行動カコワル。

 toledさん、率直なご批判をありがとうございます。私としては、id:kinyobiさんが「まあ、本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからんですけどね(;´∀`)」という発言を現在は撤回されているのであれば、謝罪の上、前回のエントリーで挙げた質問のうち、(1)(3)(4)を取り消します。ただ、kinyobiさんのエントリーを読む限り、現段階でそうした撤回は行われていないように思います。

 より具体的に書きます。

「建前って今とっても大事になってきてると思うんですよ」
「日本の建前を代表してるのが、岩○でしょ?」
「その岩○が公然と社員をいじめている。」
「まあ、本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからんですけどね(;´∀`)」
「ウソだったら反論すべき。それをやらないで無視しているって言うのは、やっていると認めているも同然でしょ?」
「吹けば飛ぶような在日コリアンの存在なんか取るに足りないと思って無視してるんですよ」

 私は上記のやり取りについて、「まあ、本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからんですけどね(;´∀`)」という発言はkinyobiさんのものであり、それ以降の台詞は、すべてtoledさんの反論であると解釈しました。つまり、kinyobiさんは、「まあ、本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからんですけどね(;´∀`)」という発言以降コメントをしていない(したがって前言を撤回してはいない)という理解です。

 けれども、そうではなく、

  1. 問題の発言はkinyobiさんのものであり、それ以降の台詞はすべてtoledさんのものであるが、kinyobiさんはtoledさんの主張を受け入れて、前言を撤回した。
  2. 問題の発言もkinyobiさんではなくtoledさんの発言である。
  3. いずれの発言もお二人の共通認識であり、kinyobiさんあるいはtoledさん単独の発言というわけではない。

のどれかであるなら(その他の可能性もあるかもしれませんが)、私の解釈が誤っていることになります。その場合は、kinyobiさんがそのように明記してくださることを条件に、kinyobiさんとtoledさんにお詫びします。

 toledさんのブコメの後半部は、以上と切り離して論じることはできないかもしれませんが、他の方からもブコメをいただいたので、感謝をお伝えしつつ、私の考えを述べておきます。

 kinyobiさんは、『週刊金曜日』のスタッフであることを明記した上で、同誌の宣伝を兼ねた記事を書いています。したがって、kinyobiさんには、「ほとんど編集に関与できる立場にいない」としても読者の批判に対する応答義務があると私は考えます。kinyobiさんのエントリーでは、『金曜日』編集部を批判しているのはtoledさんだけで、kinyobiさんはご自身の言葉では一言も編集部批判をしていません。外部からの批判の声を一方的に紹介し、内部の人間としての言質を避ける(少なくともエントリー上はそう読めます)ような文章は、結果として『金曜日』の小手先の延命策にしかならないのではないでしょうか?腐敗した編集部と無垢な一労働者という広告塔の(事実上の)共犯関係を問えないなら、toledさんが主張される「金曜日・岩波ボイコット」が広がることもないのではないでしょうか?

教えて!id:kinyobiさん

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 ※5/21追記をアップしました。

 片山貴夫さんのブログを読んで知ったのだけど、4月8日に『週刊金曜日』が集会を共催した『月刊日本』は、かつての社会党委員長・浅沼稲次郎を演説中に刺殺した山口二矢「「烈士」とよび、その「墓前祭」の紹介」をしているそうである。そもそも、『金曜日』は、パレスチナ人は言うまでもなく、パレスチナを擁護する人間も殺されて当然だという主張を出版媒体で撒き散らしている佐藤優*1と相思相愛の仲なのだから、浅沼稲次郎の死を祝う連中と馴れ合うことくらい、朝飯前に造作ないお安いご用だろう。要するに、『金曜日』にとって『月刊日本』と結託することは、何ら「違和感はない」(©北村編集長)のであって、産経新聞が期待していたような「激突」など、始めから起こりようがないのである。

 『金曜日』に限らず、佐藤優と結託する「論壇」は、こうして言論の自由生存権ごと全否定していくようになるのだろう。この表現がお気に召さなければ、ついに「論壇」は言論の自由からの「自由」を主体的に獲得した、と言ってもよい。お好みなら、「左右」の「バカの壁」を克服したと言い換えることもできる。いずれにしても実態は同じである。

 というのが前置きで、本題はここから。

(※) 『週刊金曜日』の「スタッフ」(社員なのかどうかまでは不明だが)によるという以下のブログ記事は、編集部内の空気をある程度反映しているとおもいます。

 かなり多くの、日本の読書人(その多くは、社会の木鐸【ぼくたく】として生きる知識が無いので「知識人」ではない)が、漠然と想像するファシズムというのは、アジア太平洋戦争中のように<自分たちみたいな「リベラル」言論人も投獄されるような最悪の時代>のことなのです。

 つまり裏を返せば、自己の<言論人としての立場>さえ保障されれば、それでもう安心だとする感覚に、どうしてもなってしまうのです。

 だから、金光翔(キム・ガンサン)さんに対する卑劣な迫害について、以下のように、まるで他人事のような!ものいいの、噂話を装った卑怯な書き込みができるのでしょう。――書くのなら、コソコソとではなく!、どうしてハッキリと書かないのか!人間として「大事」なのは、「建前」よりも実際の行動ではないのか!。

 片山貴夫のブログ:「メモ2 改憲派の集会で極右そのものの主張をする佐藤優
 http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-39.html

 ここで問題になっているid:kinyobiさんのエントリーを直接引用する。

「建前って今とっても大事になってきてると思うんですよ」
「日本の建前を代表してるのが、岩○でしょ?」
「その岩○が公然と社員をいじめている。」
「まあ、本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからんですけどね(;´∀`)」
「ウソだったら反論すべき。それをやらないで無視しているって言うのは、やっていると認めているも同然でしょ?」
「吹けば飛ぶような在日コリアンの存在なんか取るに足りないと思って無視してるんですよ」

 『人体の不思議展』の不思議:「toledさんと会ってきた。(後編)」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090126/1232922823

 岩波書店による金光翔さんへの気色の悪すぎる弾圧については「首都圏労働組合 特設ブログ」に詳しいので、まだご存じない方にはぜひ読んでいただきたいと思う。

 ところで、片山さんに批判されたkinyobiさんは、「片山貴夫さんに怒られました」というエントリーで、以下のような感想を書いている。

なんか、私のへたくそな文章が色々誤解を与えているようですが・・・。
それにしたってほとんど編集に関与できる立場にいない私に、なにをどーしろと言うんでしょうか?

 『人体の不思議展』の不思議:「片山貴夫さんに怒られました。」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090517/1242522310

教えて!id:kinyobiさん

 というわけで、kinyobiさんにお尋ねします。

(1)岩波書店による金さんへの弾圧について、あなたは「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」とおっしゃっていますが、こうした主張は、「南京虐殺について自分で調査したわけではない」から、南京虐殺があったかなかったかは自分にはわからない、という東浩紀の主張とどこがどう違うのでしょうか?

 別の言い方をしましょう。あなたは「首都圏労働組合 特設ブログ」を読まれた上で、このような発言をしているのですか?もしそうであるなら、あなたはパレスチナの惨状を必死に伝えるジャーナリストの記事を読みながら、「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」として、それを黙殺しようとする人間とどこがどう違うのですか?それとも、あなたは「首都圏労働組合 特設ブログ」さえ読まずに、このような発言をしているのですか?もしそうであるなら、あなたはパレスチナの惨状を知ろうとする努力を何らすることなく、「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」として、それを黙殺しようとする人間とどこがどう違うのですか?

(2)「私のへたくそな文章が色々誤解を与えている」とありますが、あなたは片山さんが具体的に何をどのように誤解していると考えていらっしゃるのでしょうか?

(3)「ほとんど編集に関与できる立場にいない私に、なにをどーしろと言うんでしょうか」とありますが、あなたは「ほとんど編集に関与できる立場にいない」ことを理由に、南京虐殺を実質的に否定したり、イスラエルによるパレスチナ侵略を実質的に黙認したりすることが正当化されるとお考えなのでしょうか?もしそうでないなら、岩波書店による金さんへの弾圧に限って、思考停止(この言葉がお気に召さなければ「判断保留」でも構いませんが)が許されるとあなたがお考えになる根拠は何ですか?

(4)岩波書店が、「首都圏労働組合 特設ブログ」の読者(「外にいる我々」の一人ですね)からの下記のメールに対して、完全に無視を決め込んでいるのは、なぜだと思われますか?

 首都圏労働組合 特設ブログ:「読者からの岩波書店あてのメール」
 http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-20.html

 お返事は、北村編集長へのメールと同様、気長にお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いします。

kinyobiさんへ追伸

 下記のエントリーへのコメントを書いたのは私ではありません。『金曜日』にはこれからブロ友がたくさんできるとよいですね、と思っています。大勢で群れていただければ、個別に批判する手間が省けますからね。歓迎します。

 『人体の不思議展』の不思議:「週刊金曜日のブログで試験的にトラバを受け付けてます。」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090501#c1241262030

*1:「アラブの原理主義パレスチナの極端な人たちの中から、「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで、「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。それはそれでかまわない。それを覚悟で贔屓しているわけです。しかしそれと同じように、アラブを贔屓筋にしている人たちは、イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダハマスヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合、これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから、その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。」(佐藤優、『インテリジェンス 武器なき戦争』、幻冬舎、2006年、p.168)