教えて!id:kinyobiさん

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 ※5/21追記をアップしました。

 片山貴夫さんのブログを読んで知ったのだけど、4月8日に『週刊金曜日』が集会を共催した『月刊日本』は、かつての社会党委員長・浅沼稲次郎を演説中に刺殺した山口二矢「「烈士」とよび、その「墓前祭」の紹介」をしているそうである。そもそも、『金曜日』は、パレスチナ人は言うまでもなく、パレスチナを擁護する人間も殺されて当然だという主張を出版媒体で撒き散らしている佐藤優*1と相思相愛の仲なのだから、浅沼稲次郎の死を祝う連中と馴れ合うことくらい、朝飯前に造作ないお安いご用だろう。要するに、『金曜日』にとって『月刊日本』と結託することは、何ら「違和感はない」(©北村編集長)のであって、産経新聞が期待していたような「激突」など、始めから起こりようがないのである。

 『金曜日』に限らず、佐藤優と結託する「論壇」は、こうして言論の自由生存権ごと全否定していくようになるのだろう。この表現がお気に召さなければ、ついに「論壇」は言論の自由からの「自由」を主体的に獲得した、と言ってもよい。お好みなら、「左右」の「バカの壁」を克服したと言い換えることもできる。いずれにしても実態は同じである。

 というのが前置きで、本題はここから。

(※) 『週刊金曜日』の「スタッフ」(社員なのかどうかまでは不明だが)によるという以下のブログ記事は、編集部内の空気をある程度反映しているとおもいます。

 かなり多くの、日本の読書人(その多くは、社会の木鐸【ぼくたく】として生きる知識が無いので「知識人」ではない)が、漠然と想像するファシズムというのは、アジア太平洋戦争中のように<自分たちみたいな「リベラル」言論人も投獄されるような最悪の時代>のことなのです。

 つまり裏を返せば、自己の<言論人としての立場>さえ保障されれば、それでもう安心だとする感覚に、どうしてもなってしまうのです。

 だから、金光翔(キム・ガンサン)さんに対する卑劣な迫害について、以下のように、まるで他人事のような!ものいいの、噂話を装った卑怯な書き込みができるのでしょう。――書くのなら、コソコソとではなく!、どうしてハッキリと書かないのか!人間として「大事」なのは、「建前」よりも実際の行動ではないのか!。

 片山貴夫のブログ:「メモ2 改憲派の集会で極右そのものの主張をする佐藤優
 http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-39.html

 ここで問題になっているid:kinyobiさんのエントリーを直接引用する。

「建前って今とっても大事になってきてると思うんですよ」
「日本の建前を代表してるのが、岩○でしょ?」
「その岩○が公然と社員をいじめている。」
「まあ、本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからんですけどね(;´∀`)」
「ウソだったら反論すべき。それをやらないで無視しているって言うのは、やっていると認めているも同然でしょ?」
「吹けば飛ぶような在日コリアンの存在なんか取るに足りないと思って無視してるんですよ」

 『人体の不思議展』の不思議:「toledさんと会ってきた。(後編)」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090126/1232922823

 岩波書店による金光翔さんへの気色の悪すぎる弾圧については「首都圏労働組合 特設ブログ」に詳しいので、まだご存じない方にはぜひ読んでいただきたいと思う。

 ところで、片山さんに批判されたkinyobiさんは、「片山貴夫さんに怒られました」というエントリーで、以下のような感想を書いている。

なんか、私のへたくそな文章が色々誤解を与えているようですが・・・。
それにしたってほとんど編集に関与できる立場にいない私に、なにをどーしろと言うんでしょうか?

 『人体の不思議展』の不思議:「片山貴夫さんに怒られました。」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090517/1242522310

教えて!id:kinyobiさん

 というわけで、kinyobiさんにお尋ねします。

(1)岩波書店による金さんへの弾圧について、あなたは「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」とおっしゃっていますが、こうした主張は、「南京虐殺について自分で調査したわけではない」から、南京虐殺があったかなかったかは自分にはわからない、という東浩紀の主張とどこがどう違うのでしょうか?

 別の言い方をしましょう。あなたは「首都圏労働組合 特設ブログ」を読まれた上で、このような発言をしているのですか?もしそうであるなら、あなたはパレスチナの惨状を必死に伝えるジャーナリストの記事を読みながら、「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」として、それを黙殺しようとする人間とどこがどう違うのですか?それとも、あなたは「首都圏労働組合 特設ブログ」さえ読まずに、このような発言をしているのですか?もしそうであるなら、あなたはパレスチナの惨状を知ろうとする努力を何らすることなく、「本当かどうかは外にいる我々には容易にはわからん」として、それを黙殺しようとする人間とどこがどう違うのですか?

(2)「私のへたくそな文章が色々誤解を与えている」とありますが、あなたは片山さんが具体的に何をどのように誤解していると考えていらっしゃるのでしょうか?

(3)「ほとんど編集に関与できる立場にいない私に、なにをどーしろと言うんでしょうか」とありますが、あなたは「ほとんど編集に関与できる立場にいない」ことを理由に、南京虐殺を実質的に否定したり、イスラエルによるパレスチナ侵略を実質的に黙認したりすることが正当化されるとお考えなのでしょうか?もしそうでないなら、岩波書店による金さんへの弾圧に限って、思考停止(この言葉がお気に召さなければ「判断保留」でも構いませんが)が許されるとあなたがお考えになる根拠は何ですか?

(4)岩波書店が、「首都圏労働組合 特設ブログ」の読者(「外にいる我々」の一人ですね)からの下記のメールに対して、完全に無視を決め込んでいるのは、なぜだと思われますか?

 首都圏労働組合 特設ブログ:「読者からの岩波書店あてのメール」
 http://shutoken2007.blog88.fc2.com/blog-entry-20.html

 お返事は、北村編集長へのメールと同様、気長にお待ちしておりますので、どうぞよろしくお願いします。

kinyobiさんへ追伸

 下記のエントリーへのコメントを書いたのは私ではありません。『金曜日』にはこれからブロ友がたくさんできるとよいですね、と思っています。大勢で群れていただければ、個別に批判する手間が省けますからね。歓迎します。

 『人体の不思議展』の不思議:「週刊金曜日のブログで試験的にトラバを受け付けてます。」
 http://d.hatena.ne.jp/kinyobi/20090501#c1241262030

*1:「アラブの原理主義パレスチナの極端な人たちの中から、「佐藤は日本におけるイスラエルの代弁者だ」ということで、「始末してしまったほうがいい」と言ってくる人たちが出てくるかもしれない。それはそれでかまわない。それを覚悟で贔屓しているわけです。しかしそれと同じように、アラブを贔屓筋にしている人たちは、イスラエルにやられても文句は言えないですよという話です。たとえばアルカイダハマスヒズボラのテロリストを支援するような運動をやった場合、これはイスラエルにとって国家存亡の問題ですから、その人は消されても文句は言えない。それくらいの覚悟が求められる贔屓筋の話だと思います。」(佐藤優、『インテリジェンス 武器なき戦争』、幻冬舎、2006年、p.168)