日本人原理主義下等(6)

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(6)「在特会」と「リベラル・左派」の敵対的な共犯関係を問う

 8月1日(土)から3日(月)まで三鷹市で開催されていた「慰安婦展」(「ロラネット」主催)が、「在日特権を許さない市民の会」らの呼びかけによって、一部レイシストの吹き溜まりになってしまったので、今回は予定を変えて「番外編」にすることにした(といっても内容はあまり変わらないが)。

 「慰安婦展」をめぐる一連の経緯については、CMLなどに詳しいが、100人ほどのレイシストが会場の外に集結して、会期中延々とヘイトスピーチを垂れていたそうである。まったく腐れた連中だが、より本質的な問題は、かれらを法的に裁けない日本社会そのものの腐敗にこそあるだろう。「在特会」らの作為を批判することは、もちろん大事なことだと思うが、差別を禁止する国内法を制定しようとしない日本社会の不作為の方が、よほど系統的な他者の否定をやってのけていると思う。

 日本政府は人種差別撤廃条約の第4条(a)*1および(b)*2を、「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由」(憲法第21条)を理由に留保している。もっとも、人権擁護法案が廃案になった顛末を見ても、「表現の自由」を盾に、ヘイトスピーチを擁護、黙認、あるいは軽視しようとする欲求は、日本政府よりもむしろ国民にとって、より切実であると言えるかもしれない。当時、流行っていた(と私が記憶する)FLASHなどが、その典型だろう。

 「「差別からの解放」を声高に叫ぶ一部の人達が「調停又は仲裁の申請」を乱発し、そのせいで人々が「被差別者」全体に反感を持ち、かえって問題が悪化する事も考えられます」などという主張は噴飯物でしかない(例えば、フェミニストの主張に逆ギレした男性が、別の保守的な女性に暴力を振るった場合も、その責任はあくまでフェミニストが負うことになってしまうため)。が、私がここで問題にしたいのは、こうした主張の非論理性・非倫理性ではなく、こうした主張を「良識」の衣で覆い、「リベラル」の油で揚げたものこそが、実は「反日上等」バッシングの本体なのではないか、ということである。

――証明はじめ――
「差別からの解放」を声高に叫ぶ一部の人達が「反日上等」を乱発し、そのせいで人々が「外国人」全体に反感を持ち、かえって問題が悪化する事も考えられます」
――証明おわり――(※反論があればかかってきてください)

 ちなみに、FLASH(文章)製作者のサイト(たぶんここ)を見る限り、かれらが「在特会」の系列グループであるらしいことがわかる。「反日上等」プラカードを叩いた人たちは、「在特会」とは一線を画していた(というか「在特会」を批判していた)はずなのに、どうしてこうもキャラがかぶっているのか?まるであだち充の漫画のようである*3

 上は、人権擁護委員の国籍条項を外したことについてのヘイトスピーチ。さすがにここまで露骨な言い方はしていないが、差別者(日本人側)のレイシズムを問わない差別主義は、鈴木のような「リベラル」な外国人「支援」者も共有している。

 「在日特権を許さない市民の会」の存在が許しがたいのは、外国人(主に在日朝鮮人)に対する犯罪的な言動に加えて、(結果的に)日本の「リベラル・左派」に対して極めて低コストで「良心」を提供していることだと思う。後者については、明らかに買う側の方により責任があるので、こうした人々の敵対的な共犯関係を問う必要があるだろう。

 一例を挙げると、私の友人は、友人を「支援」していると自称する日本人たちから、「国に帰らないのか」「日本にいたいなら日本人と結婚しろ」などと言われ、排除と同化そのものの差別を受けている。しかも、友人から話を聞くと、その人たちはどうやら「善意」でそう言っており、自らが差別的な言動をしているなどとはまったく思ってもいないようなのである(ちなみに友人は難民である)。こんなゴミのような連中でさえ、「在特会」を批判することで、自らの倫理性を自他に訴え、外国人と「連帯」できる(気になれる)のだとすれば、これほど安い買い物は他にないだろう。まさに「良心」のバーゲンセールである。おまけに、このバーゲンでは、なぜか需要があるほどに商品の価格が下がっていくのである。

 ちなみに、鈴木は、

  • 「日本における人種差別の存在を認め、かつそれと闘う政治的意志を表明すること」
  • 「差別を禁止する国内法令を制定すること」
  • 「人種、皮膚の色、ジェンダー、世系(descent)、国籍、民族的出身、障害、年齢、宗教および性的指向など、現代的差別における最も重要な分野を集約した、平等および人権のための国家委員会を設置すること」
  • 「歴史の記述の見直しおよび歴史教育のプロセスに焦点を当てること」

などを勧告した、「ドゥドゥ・ディエン国連特別報告者による日本公式訪問報告書」を受けて、「「周縁化」「不可視化」を克服し、差別や偏見のない多文化共生社会の実現をめざす」NGO共同声明に署名している。

 私から見れば、鈴木の言説こそ、ディエン報告書が指摘する「文化的・歴史的な外国人嫌悪のみならず、程度の差こそあれ、そうした人びとの文化・歴史・価値体系へのはなはだしい無知とも結びついている」、「外国人・移住労働者に対する差別」を露呈していると思うのだが、鈴木の方では、自らが外国人差別をしているという自覚にもとづく後ろめたさがおそらく皆無である(というより自らを「善意の日本人」だと疑っていない)から、こうした声明に「良心」的に名を連ねることができるのだろう。実際、鈴木の日本人原理主義ぶりは、本書のいたるところに見られる(強調は引用者による。以下同様)。

 国籍と関連して、日本人との人種的な異質性も、彼らの就労を規定する要因の1つである。序章で取り上げたように、青木は、外国人労働者の階層化の基準の1つとして、「可視性の度合い(visibility)」、つまり「日本人と似ているか否か(distinguishing symbol)」を挙げている(青木1992:353-335; 同2000:127-8)。また、滞日バングラデシュ人を調査した樋口・稲葉は、「外見上の相違」を彼らのマイナス要因として指摘している(樋口・稲葉2004:63)。

 例えば、外国人としての可視性が高いバングラデシュ人の場合、1980年代後半から多くのバングラデシュ人とかかわってきたA.P.F.SのY氏の指摘や、総合研究開発機構(1993)の帰国出稼ぎバングラデシュ人調査からもわかるように、流入初期には飲食店で働く者も多かった。だが、日本人と同じモンゴロイド系である中国からの就学生が増えるにしたがって、三者と接することが少ない工場での就労が主流となっていった。すなわち、バングラデシュ人は、外国人としての可視性ゆえに、飲食店への入職経路が閉ざされてしまったのである。*4

 ・・・・・・憶測でものを言うのはよくないとは思うが、鈴木の「支援」を受けている*5外国人こそ、明日にでも金嬉老になりかねない「最前線の外国人」たちなのではないだろうか。かれらをそこに追いやっているのは、「在特会」のような極右ではなく、鈴木のようなリベラルな日本人原理主義者たちではないのだろうか。(2)で、「鈴木は、こうしたカウンター・ナラティブが日本人原理主義者のマスター・ナラティブにとってタブーであることをよくわきまえているのだと思われる」と書いたが、ここまで無自覚なレイシストぶりを披露されると、鈴木はカウンター・ナラティブに対して実は単純に興味がないだけなのかもしれないとさえ思えてくる(しかも、この方がずっとタチが悪い)。

 それにしても不思議で仕方ないのだが、鈴木はいったいディエン報告書のどこを読んでいたのか?「外国人としての可視性」や「第三者」(入管のいう匿名の「市民」)などというふざけた概念を持ち出して、日本人が自ら差別を克服することを回避する構造こそ、報告書が断罪する「人種主義、人種差別、外国人嫌悪およびあらゆる形態の差別」そのものではなかったのか。「日本人らしくない外国人」を差別する(結局は「日本人らしい外国人」も差別する)日本人のレイシズムこそ、根絶すべき対象ではなかったのか。ディエン報告書は次のように指摘している。

 「日本の入国管理局は、2004年2月にウェブサイト上で、「不法滞在者と思われる外国人」について匿名で通報することを市民に呼びかけるメール通報制度を創設した。市民は他人の国籍を調べることはできないので、ある人が不法滞在者ではないかとの疑いを持ちうるのは、人種的・言語的特徴に基づく「外国人らしさ」によってのみである。この制度は、人種を理由とする犯罪者推定と外国人嫌悪を直接扇動するものである。」*6

 外国人通報制度に関して、鈴木は以下のように「解説」している。

 2004年2月には、法務省入国管理局のHPにおいて、「不法」滞在者に関する情報を電子メールで受け付けるシステムが開始された。法務省の広報は、「一般の方からのご要望にお応えして、不法滞在者の情報提供をメールで受け付けることにしました」と、新たに開設されたメール通報システムについて説明している。非正規滞在者に関する通報は、入管法第62条第1号にも規定されており、それ以前にも、一般市民から電話や手紙などによる情報提供を受け付けていたが、電子メールでの情報提供を開始することによって、より手軽に通報することが可能となり、非正規滞在者を半減するための取組みとして奨励されることになった。そして、情報受付の画面には「なお、本メールは不法滞在者と思われる外国人に関する情報を受け付けるものであり、適法に滞在している外国人に対する誹謗中傷は固くお断りします」という注意書きが添えられているが、不法滞在者と思われる外国人」とはどういう外国人であるかについての説明はない。メール通報システム開設による「不法」滞在者削減の効果は定かではないが、いずれにしても、「通報」という行為によって、広く市民に対して、非正規滞在者取締りへの協力・参加が求められるようになったのである。*7

 「通報」にわざわざ括弧をつける意味がわからないが、鈴木自身も「外国人としての可視性」とやらが具体的にどういうものであるかについての説明は一切していないのである。例によって日本人同士の「暗黙の了解」が想定されているのだろう。いったいどこまで腐っているのか。

 さらに、外国人としての可視性は、就労する職種が限られるという以前に、非正規滞在者にとって摘発の危険性を高める要因であることも、ここで指摘しておきたい。*8

 言うまでもなく、報告書は外国人通報制度の即時廃止を勧告している。

 「法務省入国管理局のウェブサイト上において導入された、不法滞在者の疑いがある者の情報を匿名で通報するよう市民に要請する制度は、人種主義、人種差別および外国人嫌悪を煽動するものである。この制度は、本質的に外国人を犯罪者扱いする発想に基づくものであり、外国人への疑念と拒絶の風潮を助長する。従って、この通報制度は遅滞なく廃止されなければならない。」*9

 くどいようだが、外国人と対等な関係を築きたいと考えている日本人は、在日特権を許さない市民の会」と敵対的な共犯関係を結んでいる、鈴木らリベラルな日本人原理主義者をも、批判していくべきだろう。

 最後に、自分は行けないのですが、関連イベントのお知らせを。

ヘイトスピーチは許せない!
行動する保守!?』にどう向き合うか

日時:8月14日(金) (2時半開場)午後3時〜9時
場所:文京区民センター2A

 つづきはこちらで。「彼らの行動や言動が、私たちの社会に根ぶかく続いている排外主義、他者を押し殺す社会のありようの戯画」という点に、深く共感します。

(次回に続く)

*1:(a)人種的優越又は憎悪に基づく思想のあらゆる流布、人種差別の扇動、いかなる人種若しくは皮膚の色若しくは種族的出身を異にする人の集団に対するものであるかを問わずすべての暴力行為又はその行為の扇動及び人種主義に基づく活動に対する資金援助を含むいかなる援助の提供も、法律で処罰すべき犯罪であることを宣言すること。

*2:(b)人種差別を助長し及び扇動する団体及び組織的宣伝活動その他のすべての宣伝活動を違法であるとして禁止するものとし、このような団体又は活動への参加が法律で処罰すべき犯罪であることを認めること。

*3:特に女性キャラはどれも同じにしか見えない

*4:鈴木江理子、『日本で働く非正規滞在者―彼らは「好ましくない外国人労働者」なのか?』、明石書店、2009年、p.411

*5:私は、鈴木の関わっているNPO/NGOの総意を鈴木が代弁しているとは思っていない。念のため。

*6:http://www.imadr.org/japan/pdf/DieneReportJapanJ.pdf

*7:前掲書、pp.142-143

*8:同上、p.411

*9:http://www.imadr.org/japan/pdf/DieneReportJapanJ.pdf