日本人原理主義下等(9)

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(9)トラックバック+ブクマコメントへのお返事

 暑くてすっかり間が空いてしまいましたが、最後にトラックバック+ブクマコメント(すべてではないですが)へのお返事を。

 でも、虐げられた人たちと彼らのもとに立とうとする人たちが、敵対性を表に出すのは当然だと思うんですよ。差別の問題でも貧困の問題でもね。そしてそれ以上に、社会問題は誰もがそこにいる街頭でこそ表現されるべきであり、街頭行動にはコンフリクトがつき物であり、それを通して初めて未知の問題は知れ渡っていくようになる。それをしないから広がらずに、日常の事務業務に追われて余裕だってなくなっていく。そして試行錯誤の行動を通して、人の怒り・悲しみ・喜びは肉質を持って伝わるようになるのだ。支援それ自体の自己目的化で問題を軟着陸させようとする姿勢は、街頭行動・大衆行動(ふるーい言葉だけど)の不在を何よりも物語っていると思うのです。

 だから欧米のように、街頭行動をもっと当たり前にしよう。

 「日本の大学業界、NGONPOにおけるデモや街頭運動の不在」から、「はてな界隈での「反日上等」へのヒステリー化」を考察するエントリー。自分には欠けていた視点だったので新鮮です。最近デモにも行けてないなー。

 アクティビスト/編集者・園良太の日記:「反日上等」について――街へ出よう。
 http://d.hatena.ne.jp/Ryota1981/20090729/1248862247

一点、リンク先の筆者と異なるのは、それを踏まえたうえで私はネット上で「反日上等」とやりかえすのはまずいな、と思う。そのような構図が作られてしまうことがマズイ。たとえば排外主義を批判するはてな界隈の人々の間で"show your flag!"みたいになっている。これこそが「反日/反日上等」二項対立の隘路。いいんだろうか。とおもっていたら、この部分を明解にした見事な考察が近日登場していた。

 kom’s log:「承前「反日上等」」
 http://d.hatena.ne.jp/kmiura/20090808/p1

 上で紹介されている深海魚さんのブログも必見です。確かに、私は「反日上等」の作用と副作用を体系的に論じてはまったくいないので、その点については批判を受けつつ、今後の課題にしたいと思います。

  • ブクマコメント

(1)「好ましい/好ましくない」外国人論としての日本人原理主義

tari-G村上春樹現象の時も批判したけど、なんか駄目なんだよなぁ。今回も肝心の石蹴り氏の見解を把握できてないし、国民や国民主権の理解とかも変。」

 石蹴り氏の文章はまったく読んでないと断った上で書いているつもりですが。

seijigakuto 「相変わらずの電波。少しまともに調べれば、NGO内部でその点も含めてきちんと議論がされていた事くらい分かるんですけど。外部からラディカルな事いって、「いってやった気分」になってるだけで内容は(ry」

 「はてな」の内部にいたのでわかりませんでした。反省して外部で出直します。

Carnot1824不法滞在者数について、入国管理局曰く”l「平成16年からの5年間で,不法滞在者を半減させる。」とした政府目標(略)”http://www.moj.go.jp/PRESS/090217-2.html。このデータをどう解釈すべきか?」

 http://www.repacp.org/aacp/index.php でしょうか。

NOV1975 「だからやなんだよ。日本人原理主義なんて関係ないのに連想されてこんな変なタイトルになる。問題の本質を失われるスローガンを担ぐのは止めようぜ。」

 我ながらめっさ冴えたタイトルだと思ってました。勘違い入っててすみません。

F1977 「にほんじんげんりしゅぎ・げとー!(かとーやと、勝とー!みたいなので。けど、こっちでいいのでしょうか)」

mujige 「「日本人原理主義外道」でいいんじゃないか。」

 こちらの方が冴えてましたね。

Midas 「この先問題になるのは国家間のナショナリズム対立でなく国粋主義化したグローバリズムと旧国民国家の対立。在特会反日上等はユーゴ内戦レベルの贋の対立でしかない。NATOがユーゴに何をしたかはご存知の通り」

 「贋の対立」であろうとなかろうと、マイノリティを抑圧するマジョリティの責任は解除されないでしょう。まして、対立が「真」であるか「贋」であるかを判断するのがマジョリティであればなおさらです。もしも、「国粋主義化したグローバリズム」と闘うために「在特会反日上等」は共闘するべき、ということをおっしゃっているのなら、賛同できません。


(2)マスター・ナラティブへの欲望――保守とリベラルによる支配の相互補完――

mujige 「坂中的な多民族国家論はもっと警戒されていいと思う。」

 まったく同感です。


(3)日本人原理主義におけるレイシズムと「好意」の共存

F1977 「日本の植民地時代に日本で生まれ、解放後クニに帰って四・三事件にあい、密航で日本に戻って入管に自主したあるハルモニが入管に言われた言葉「日本人よりも日本人らしいから日本人になりなさい」一般永住者ですけど」

 ・・・・・・言葉がありません。いま『嫌日流』を読んでいるのですが、本当に「知れば知るほど嫌いになる国」ですね。


(6)「在特会」と「リベラル・左派」の敵対的な共犯関係を問う

kmiura 「秀作。引き続きほとんど同意なのだが、”反日上等”は筋が悪いと思う。私にとってはそれもまた”低コストの「良心」”に含まれてしまう。コンプリメンタリー、という意味で。」

 エントリーでは詰められませんでしたが、「反日」/「反日上等」という表現そのものについては、実は私にも迷いがあります。レジスタンスが「テロ」というレッテルを貼られるなら、「テロ」という枠組それ自体を問い直すことを避けては通れないですよね。ご指摘ありがとうございます。

PledgeCrew 「批判の眼目は敵が設定した土俵に安易に乗るなということ。彼らがいう意味での「反日」であることをいったい誰か批判し非難したのか?人権法案を攻撃する者が差別問題をだしにしてることは明らか。それとこれとは違う」

 私から見れば、「反日上等」を批判する側が(結果として)「在特会」的な論理に乗ってしまっているように思えます。もちろん上の(kmiuraさんへの)コメントを踏まえてのことですが。

sillyfish 「低コストというか、コストの上限が低いのが問題なんだと思う。差別に無自覚な善意も「反日上等」も言うだけならタダなのは一緒だけど、前者は「日本人」という枠組みを問う方向に決して行かずにすむ」

 マジョリティが払うコストはいつも低いんですよね。半分は自戒としてそう思います。

F1977 「大阪生野区の某駅前で、入管と「市民」らしき人々が「不法滞在者」らしい人を見つけたら通報しましょう!キャンペーンでティッシュを配っていました。政治的権利がないのに、こんなことに税金使われてて腹立ちました」

 入管に税金が使われてるのがおかしいですよね。「市民」が立ち入らない(非正規滞在者が通わされる)エリアには窓が一つもなかったりするし、やつらは本格的に心が壊れてるんじゃないでしょうか。

hituzinosanpo 「「敵対的共犯関係」というのは韓国のイム・ジヒョンさんの用語ですね。『敵対的共犯者たち』が翻訳されると いいな。『現代思想』に のった論文は まだみてない。」

 実は単なる偶然で、イム・ジヒョンさんの論文はまだ読んだことがありません。論文探してみたいと思います。ありがとうございます。


(8)ニーメラー牧師の訴えは日本人マジョリティに届くか?

kmiura 「米国から帰ったときに中学校でさんざん袋叩きになったから私はいまだに日本の"マジョリティ"が信じられない。で、このマジョリティってダイナミックに構成されんだよな。」

 私も小学校の高学年はボコられまくりでした。子どもって実はかなり全体主義ですよね・・・。

Midas 「ブログ主の主張は1から10まで出鱈目。なぜならば立脚点が間違ってるから。「いつかいじめられる」←無謬の日本人観を想定してる時点で単なる藁人形叩き。日本人「も」既に虐められてると考えねば対話の余地などない」

 誰と対話をするための余地なのでしょうか?それがレイシストであるなら、私には始めから余地はありません。

 以上です。(終わり)