「唯一の被爆国」は北朝鮮の核実験を非難できるか(2)

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 前回の続き。

護憲派」によるメモリサイド(記憶の抹殺)

「唯一の被爆国」というウサンくさい(しかも事実とも違う)言い回しは、批判にさらされてとっくに消えたかと思っていたが、まだ生き残っていることを知って唖然。

 mujigeさんから上のブクマをいただいたように、今回は、

  • そもそも日本は「唯一の被爆国」ではない
  • そもそも被爆「国」って何だよ

という話題から始めるつもりだった。ところが、昨日のエントリーをアップした直後に読んだ『マガジン9条』が、あまりにも腐り切り尽き果てていたので、予定を変えて『マガジン9条』タグを新設してみた。以下、『マガジン9条』の第209号(2009年5月27日号)を見ていくことにする。

今週の『マガジン9条』
核廃絶への道を妨害する実験

 またあの国が騒ぎを起こしてくれました。まったく、何を考えているのか、自ら孤立への道を突っ走っているとしか思えません。金正日総書記の健康不安が背景にあるとか、後継者問題との絡みとか、いろんな情報が飛び交っていますが、やはり対アメリカの思惑から出た核実験なのでしょう。

 念のため書いておくが、『マガジン9条』の「9条」は、日本国憲法の9条を指しており、有事法制関連法の9条*1を指しているわけではない・・・と思う。

 それはそれとして、『マガジン9条』編集部によるこの文章には、朝鮮民主主義人民共和国という正式名称はもちろんのこと、「朝鮮」や「北朝鮮」という略称、さらには「北」という蔑称さえ、一切出てこない。どうやら、『マガジン9条』の「護憲派」(または「反改憲派」)の人々は、北朝鮮を名指すことすら、避けたいようなのである。北朝鮮を「あの国」呼ばわりして何ら恥じない連中が呪文のように唱える「護憲」(「反改憲」)など、もはや批判の対象とする以外に、読むべき意味は何もない。

 『マガジン9条』に限らず、北朝鮮の核実験に憤慨してみせている人たちは、北朝鮮による核実験という非日常に対して「騒ぎを起こして」いるだけで*2、自分たちの日常――すなわち日本が米国の核の傘の下に居座っていること――に対しては、ほとんどと言ってよいほど異議申し立てをしていないように見える。つまり、自分たちが戦後も絶え間なく(在日朝鮮人を含む)朝鮮人生存権を脅かしていることは、何の問題もない、という認識なのである。こんな「思惑」を持つ連中が「核廃絶」を主張できるというのは、日米安保を容認あるいは肯定しながら、憲法9条を手放しで礼賛(「人類にも希望があったんだ」とかなんとか)するようなものである。って全然比喩になってないのが怖いんだが・・・。

 それにしても、オバマ大統領が提唱した核廃絶に向けて、世界が動き始めたこの時期に核実験とは、それこそ世界規模のKY(←私の大嫌いな言葉ですが)国家というしかありません。とうてい許せることではありません。

 オバマプラハでの演説は、真に受けたところで、核廃絶に対するやる気のなさを確信させるような内容である。そもそも、「取り違えのないように願いますよ:核兵器が存在する限り、我々(アメリカ)はどんな敵でも抑止できるだけの、しっかりと保護された、効果的な核兵器の備蓄を維持して、我々の友好国を守ることを保証しましょう」などと言っている「スマートな帝国主義者に賛同している時点で、核廃絶などできるはずがない(する気もない)と、自らアピールしているようなものではないか。

 「オバマ氏は大統領に当選する以前から包括的核実験禁止条約の批准に前向きだったとして彼を褒める人がありますが、対立候補共和党マケイン氏もその方向に傾いていたことを思い出して下さい。キッシンジャー一派に率いられた米国の核政策転換の大きな理由の一つは、アメリカが自信を持って実行しているストックパイル・スチュワードシップ・プログラム(Stockpile Stewardship Program, 備蓄核兵器保全管理プログラム)というものにあります。クリントン時代に始まった未臨界核爆発実験に超高速巨大コンピューター・システムを組み合わせたシミュレーション技術の完成で、アメリカは実際の爆発実験を必要としなくなったのです。このプログラムで手持ちの核兵器に磨きをかけ何時でも使用可能な状態に保つ一方、こうした高度技術をまだ持っていない後発の核保有国を包括的核実験禁止条約で締め上げる方がアメリカにとって都合が良くなって来たのです。オバマ大統領の“核廃絶”のジェスチャーにはヒロシマナガサキの罪に対する痛みなどひとかけらも含まれてはいません」

 私の闇の奥:「オバマ大統領は本当に反核か?」
 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/04/post_ddd0.html

 北朝鮮が核実験に踏み切ったのは、オバマの演説をスルーするほどKYだったからではなく、まさに日本が誤解している(したがっている)オバマのメッセージを正しく受け取ったからこそだろう。もっとも、それ以上に大きな原因は、先月の北朝鮮人工衛星打ち上げをめぐる日本の対応だったと思う。自国による常軌を逸した対北朝鮮強攻策が相手国に与える影響を想像しようともしない日本の方こそ、「世界規模のKY国家」である。

 「コラムリコラム」でも触れているようですが、日本ではすぐに反応して“核武装論”や“敵基地攻撃論”、“先制攻撃論”などと物騒な物言いの政治家や評論家などが出始めました。

 これらの論は威勢はいいのですが、世界の中での日本の地位を貶める結果になることは明白です。戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジアにおいて、またもや日本が軍事国家への道を歩み始めたか、という疑念を持たれることは、絶対に避けなければならないと思うのです。

 「われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。」

 日本国憲法前文の一節です。

 この「コラムリコラム」とやらが、またひどいことになっているのだが、その前に。

「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジア」
「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジア」
「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジア」

 ・・・・・・どうやら『マガジン9条』の「護憲派」(「反改憲派」)の人々にとっては、2000万人ものアジアの民衆を殺戮した、日本の植民地支配・侵略戦争の記憶は、近い将来においてアジアで「完全に払拭される」ことが既定路線なのであり、しかもそれが望ましいとさえ考えられているようなのである。ここで言う「アジア」には日本は含まれていないだろうから、この人たちは、日本ではすでに「戦争の記憶」が「完全に払拭されている」と認識していることになる。

 したがって、ここで言う「戦争の記憶」とは、広島・長崎といった、日本人が被害者性をアピールできる「戦争の記憶」ではなく、アジアの民衆が繰り返し想起する――要するに日本/日本人にとって都合の悪い――「戦争の記憶」であるということになる。

 「戦争の記憶がまだ完全に払拭されているとは言い難いアジアにおいて、またもや日本が軍事国家への道を歩み始めたか、という疑念を持たれることは、絶対に避けなければならないと思う」という主張は、日本の核武装と先制攻撃体制を可能にするにはアジアの民衆にメモリサイド(記憶の抹殺)を仕掛けなければならない、という主張と紙一重である。

 あるいは、この主張は、紙一重どころの話ではなく、「護憲派」(「反改憲派」)から核武装論者への「連帯」の表明でさえあるのかもしれない。『マガジン9条』が、「“核武装論”や“敵基地攻撃論”、“先制攻撃論”などと物騒な物言いの政治家や評論家」たちに向かって、こう呼びかけていると考えたら、どうだろう。「そういうことは、日本に対して戦後補償を訴える、アジアのうるさい被害者たちが死に絶えてから、一緒に考えていきましょうね」と。言うまでもなく、日本はすでに世界有数の軍事大国なのであって、核武装論や先制攻撃論をもって、「またもや日本が軍事国家への道を歩み始めたか、という疑念」に初めて駆られる人間が、アジアに存在するとはとても思えない。『マガジン9条』に代表される日本の「護憲派」(「反改憲派」)ジャーナリズムを除いては。

 次回へ続く。

*1:例えば、「政府は、武力攻撃事態等に至ったときは、武力攻撃事態等への対処に関する基本的な方針(以下「対処基本方針」という。)を定めるものとする」(武力攻撃事態対処法)など。

*2:ただし、北朝鮮バッシングは日常化している。