<佐藤優現象>やめますか、それとも人間やめますか。

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佐藤優現象>やめますか、それとも人間やめますか。

 前号(5/29号)の週刊金曜日で、佐高信壮絶な最期を遂げていた。<佐藤優現象>を積極的に推進した言論人のなれの果てが今日の佐高であることを思えば、多くの言論人にとって佐高の最期は他人事では済まされないはずである。

 というわけで、僭越ながら、言論人の皆様にメッセージを贈ることにした。出版各社におかれては、これを在りし日の佐高の写真と並べて、社内掲示板にでも貼っておくとよいのではないだろうか。もっとも、<佐藤優現象>を推進する前の佐高の言説がそれほど感銘的だったかどうかは、また別の話ではあるが。

 以下はもう少し真面目な話。

「九・一九共同声明」とは何か

 週刊金曜日の最新号(6/5号)に、康宗憲氏による「北朝鮮のロケット発射と核実験 オバマ政権の安保理制裁は有効か」という記事が寄稿されている。『金曜日』が北朝鮮関連報道でこれほど良心的な記事を載せてくるということは、同誌の北朝鮮バッシングに対して、編集部も無視できない質量をともなう批判が寄せられたのではないかと勘ぐりたくもなるが、まずは康宗憲氏の記事を紹介したい。

 康宗憲氏は、「九・一九共同声明」(リンクは外務省による仮訳*1)が、

  • 六カ国協議の目標を「朝鮮半島の非核平和(北朝鮮の核放棄ではない!)」としていること
  • 上記の目標を「北東アジア地域の冷戦構造(朝鮮戦争の休戦体制と米朝・日朝の敵対関係)を解体する過程で実現できる」と規定していること
  • 各国相互の主権尊重と平等の原則に基づき、「行動対行動」の原則によって合意を相互に履行するよう銘記していること

を改めて指摘している。便宜のため、「九・一九共同声明」(以下「2005年共同声明」)を検証するサイトから引用する(強調は引用者による)。

 2005年共同声明は、「六者会合の目標は、平和的な方法による、朝鮮半島の検証可能な非核化」であるとしています。後で述べるように、共同声明はそのほかにも4つの問題を扱っていますが、もっとも重要な問題は朝鮮半島の非核化実現であることを、朝鮮も含めた六者が確認しているのです。その具体的な内容として、次の諸点が明記されました。

 (1)朝鮮民主主義人民共和国は、すべての核兵器及び既存の核計画を放棄すること、並びに、核兵器不拡散条約及びIAEA保障措置に早期に復帰することを約束。

 (2)アメリカ合衆国は、朝鮮半島において核兵器を有しないこと、及び、朝鮮民主主義人民共和国に対して核兵器又は通常兵器による攻撃又は侵略を行う意図を有しないことを確認。

 (3)大韓民国は、その領域内において核兵器が存在しないことを確認するとともに、1992年の朝鮮半島の非核化に関する共同宣言に従って核兵器を受領せず、かつ、配備しないとの約束を再確認。

 (4)1992年の朝鮮半島の非核化に関する共同宣言は、遵守され、かつ、実施されるべきである。

 (5)朝鮮民主主義人民共和国は、原子力の平和的利用の権利を有する旨発言。他の参加者は、この発言を尊重する旨述べるとともに、適当な時期に、朝鮮民主主義人民共和国への軽水炉提供問題について議論を行うことに合意。

 2005年共同声明では、米朝関係について、次の約束をしました。

 朝鮮民主主義人民共和国及びアメリカ合衆国は、相互の主権を尊重すること、平和的に共存すること、及び二国間関係に関するそれぞれの政策に従って国交を正常化するための措置をとることを約束。」(2項の一部として。その前には、「六者は、その関係において、国連憲章の目的及び原則並びに国際関係について認められた規範を遵守することを約束した。」というくだりがあることも忘れてはいけません。この一般的な約束は、米朝関係だけではなく、日朝関係をも拘束します。国連憲章の目的及び原則の中でも重要なものは、独立国家の主権尊重であり、内政不干渉です。)

 21世紀の日本と国際社会:「六者協議:共同声明検証」
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2007/174.html

 康氏は次のように続ける。六カ国協議や米朝対話が進展するのは、この同時行動の原則が守られている時期であり、他国が北朝鮮に一方的な義務の履行を強いる「単独行動」を求めた場合には、交渉が難航する。ところが、米国も日本も、こうした単純な経験則に学ぶことができず、六カ国協議をあたかも北朝鮮に懲罰を与える場であるかのように錯覚し、独善的かつ被害者的に振舞っている、と。

 日本は、表面的には拉致問題の「解決」に固執するあまり*2北朝鮮に対する主権尊重と内政不干渉、同時行動を遵守するという六カ国協議の原則から、ガターを繰り返してきた。米国と韓国に関して言えば、16日に開かれる米韓首脳会談に向けて、米国の「核の傘」提供(「拡大抑止力」の強化)を明記する動きがあり、そうなれば同時行動の原則の前提であったはずの2項と3項は完全に死文化するだろう。

 ところで、六カ国協議の参加国のうち、北朝鮮と他の五カ国の間には、GDPで数十倍から数百倍の格差がある。軍事費については、米国が単独で世界の4割以上を占めているので、比較をするのもバカバカしいが、北朝鮮(や世界の大半の国々)から見れば、中国(世界2位)やロシア(世界5位)、日本(世界7位)、韓国(世界11位)にしても、恐ろしいほどの軍事大国である*3

 何が言いたいかというと、「九・一九共同声明」で規定されている「行動対行動」の原則は、それが遵守されているときでさえ、北朝鮮により重い負担を強いるということである。国交もなく、あからさまに自国を敵視する軍事大国を相手取り、超大国に実質的な行動を促すためには、北朝鮮にとって核以上に有効な「カード」はありえず、それを簡単に放棄することは難しい。

 同号の『金曜日』には「あらゆる制裁を恐れない国」という成田俊一の現地ルポもあり、こちらも興味深い内容なのだが、北朝鮮のこうした選択は、金正日ら政府の独断というよりも、近現代を通じて帝国主義*4の侵略と最前線で戦い続けてきた民族としての総意と言えるのではないかと思う。北朝鮮の国民は独裁者・金正日の哀れな被害者である」という、「リベラル・左派」に支配的な認識は、端的に朝鮮蔑視の裏返しであり、他者感覚が完全に欠落した、歪んだ精神世界の産物である。以下にその典型例を挙げておく。【6/11 追記】この部分はかなり乱暴でした。申し訳ありません。追記を入れました。

 憲法を守ろうと活動する「九条の会」が2日、発足から丸5年となったことを記念して東京都千代田区日比谷公会堂で講演会を開いた。呼びかけ人の一人で、昨年末に亡くなった加藤周一さんの志を受け継ごうと、壇上には加藤さんの写真が掲げられた。

 講演した作家の大江健三郎さんは「核保有国と非核保有国との間に信頼関係がなければ、核廃絶は始まらない」という加藤さんの指摘を紹介。「そんな信頼関係などあるものかと笑いを浮かべた人もいるでしょう。例えば北朝鮮との間に。でも私は日本としてのやり方はあると思う。私たちが不戦の憲法を守り通す態度を貫くなら、信頼を作り出す大きな条件となるのではないか」と語った。

 「九条の会」発足5年記念、大江健三郎さんが講演」(2009.06.02 朝日新聞
 http://www.asahi.com/national/update/0602/TKY200906020371.html

 「九条の会」関係ではこんなものまであり、もう笑うしかない。というか、普通に笑った。ここまで愚民観を炸裂させた「護憲論」が、大衆に支持されることは2万パーセントありえないだろう。

6/11追記

 上記で、「他者感覚が完全に欠落した、歪んだ精神世界の産物」として、「九条の会」発足5周年記念での大江健三郎の発言を引きましたが、この部分は非常に乱暴な論理展開だったと思います。反省して以下に追記します。

 私が上記の文章を書くときに念頭に置いていたのは、「九条の会」事務局が自衛隊日米安保の撤廃を主張していない、ということです。実際には「九条の会」は勝手連的ネットワークのようなものなので、自衛隊日米安保の撤廃を掲げて運動にコミットしている会員ももちろんいるのですが、「九条の会」のオフィシャルサイトを見る限り、かれらが批判しているのは、自衛隊と米軍の一体化や、集団自衛権の行使、日米安保の強化といった動きであって、自衛隊日米安保そのものではありません。

 このことについては、当の「九条の会」がメルマガで紹介しているので、以下に引用します。

◆「神奈川新聞」社

 11月30日、「九条の会 多様な議論の広がりに期待」とのタイトルの「社説」を掲げました。

 「社説」では、「九条の会」結成から3年半が経過したことを紹介し、「この1年半に、全国で1627、県内で57増えた。集会には全都道府県から約千人が参加し、すべての小学校区(約2万2千)に草の根の会をつくるという壮大な目標も掲げた。改憲をめぐる攻防において、『九条の会』は護憲側の連帯の結節点となりうる存在だけに、行動の行方を注目したい」と述べています。

 そして、「草の根の会の結成は、それぞれ当事者任せ。非武装中立派から、政府の現在の九条解釈論を支持する自衛隊日米安保容認派まで、会員は“多様性”を誇っている」ことが「九条の会」の特質であることを指摘しています。

 九条の会メールマガジン vol.37:「憲法9条、未来をひらく」
 http://www.9-jo.jp/news/MagShousai/MMS071210.htm

 つまり、「九条の会」事務局は、「非武装中立派から、政府の現在の九条解釈論を支持する自衛隊日米安保容認派まで」の人々を「護憲派」として取り込むために、自衛隊日米安保という論点をあらかじめ棚上げしているわけです。後述する「「九条の会」アピール」を見てもそのことは明らかだと思いますが、過去のメルマガでも、「日米安保」という言葉が本文中(各地の「九条の会」が開催するイベント名などではなく)に現れるのは数えるほどしかなく*5、それも日米安保そのものではなく、日米安保が強化されることが問題である、という趣旨になっています。

 安倍氏はまた、9月1日に発表した政権公約美しい国、日本。」において、「『世界とアジアのための日米同盟』を強化させ、日米双方が『ともに汗をかく』体制を確立する」ことをあげている。

 私たちは、このような「公約」は、日米双方が『ともに汗をかく』どころではなく、『ともに血を流す』危険な道を追求するものと言わざるを得ない。そのことは、直近では、「イラク戦争」の経過と現在(戦争開始後現在までの米兵の死者は2651人と報道されている!)を見れば明らかである。このような公約を掲げ、集団的自衛権行使を容認するということは、まさに軍事同盟条約である日米安保条約を強化し、日本を米国等と共に「戦争する国」にすることにほかならない。

 九条の会メールマガジン vol.11:「憲法9条、未来をひらく」
 http://www.9-jo.jp/news/MagShousai/MMS060925.htm

 次に、加藤周一と大江健三郎が起草した「アピール」を見てみます。

九条の会」アピール

 日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。

 ヒロシマナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。

 侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。

 「九条の会」アピール
 http://www.9-jo.jp/appeal.html

 第二次世界大戦の「悲惨な経験」の頂点が広島と長崎であるという認識は、大江が『あいまいな日本の私』で語っていることでもあります。

・・・われわれは、ゆがんだ貧しい近代をつくってしまった。そして大きい戦争を惹き起こして、悲惨な経験をした。その頂点に広島と長崎があります。そのことをわれわれは、自分たちの文化の問題として、文明の問題としてあらためて徹底的に考えるべきではないか?*6

 戦後五十年たって、日本人がいちばん記憶しなきゃいけないのは、広島でそういうことが行われた、長崎でそういうことが行われた、ということです。人類は黒色火薬をつくった、TNT火薬をつくった。それで人間を破壊することが始まった。しかし原爆・水爆というものは全く違った規模のもので、核兵器は本当に人類を絶滅してしまうことが可能になった最初の手段です。それが最初に日本人の頭上に落された。*7

 大江は(別の講演では)朝鮮人被爆者についても言及しており*8、必ずしも日本人の被害を特権化しているわけではないと思いますが、大江がこのように言及しているのは、広島と長崎の経験こそが「人類」史上の悲惨の「頂点」であり、まさにその点において日本人と朝鮮人を区別することに意味はない、と考えているからではないでしょうか。

 けれども、大江(出典はジョージ・ケナン)が言うように、「人類の文明全体に対する傲慢、涜神、そして侮蔑が核兵器の使用だという、大きい文明的な構想に結びつけうる考え方」*9からは、核兵器の使用(というより保有)があくまでその一手段にすぎない、世界的な抑圧と収奪の支配構造への批判に直接つながる論理は見出しにくいように思います。「アピール」や、『あいまいな日本の私』が、日本による朝鮮植民地支配の問題を語っていないこと、「この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました」という「アピール」が、戦後に展開された第三世界独立運動を総じて無視しているらしいことは、注意が必要だと思われます。

 他国を侵略し、支配するためには、必ずしも核兵器や直接的な武力の行使は必要なく、まさにそうした侵略こそ、戦後の日本がアジア諸国(ひいては第三世界)に対して一貫して行ってきた(いる)ものでしょう。そうした認識を根底から問うことなく、広島・長崎や憲法九条を、安易に「人類」の共有体験・財産につなげるような言説は、世界の人々(人類)にどこまで支持されるのか、心もとなく思います。

 話を「アピール」に戻します。

 アメリカのイラク攻撃と占領の泥沼状態は、紛争の武力による解決が、いかに非現実的であるかを、日々明らかにしています。なにより武力の行使は、その国と地域の民衆の生活と幸福を奪うことでしかありません。一九九〇年代以降の地域紛争への大国による軍事介入も、紛争の有効な解決にはつながりませんでした。だからこそ、東南アジアやヨーロッパ等では、紛争を、外交と話し合いによって解決するための、地域的枠組みを作る努力が強められています。

 米国がイラクを侵略したのは、そもそも「紛争の武力による解決」などのためではありませんでしたし、今もそうですが・・・。

 憲法九条に基づき、アジアをはじめとする諸国民との友好と協力関係を発展させ、アメリカとの軍事同盟だけを優先する外交を転換し、世界の歴史の流れに、自主性を発揮して現実的にかかわっていくことが求められています。憲法九条をもつこの国だからこそ、相手国の立場を尊重した、平和的外交と、経済、文化、科学技術などの面からの協力ができるのです。

 「アピール」が実質的に日米安保に触れているのはこの部分です。一見、「アメリカとの軍事同盟」を批判しているように見えますが、実際に批判の対象になっているのは、「アメリカとの軍事同盟だけを優先する」ことであり、米国を数ある「同盟国」の一つとするような安全保障体制を築くことは必ずしも否定されていません。このあたりも、より広範な層を「護憲派」に取り込むための戦略だと思われます。

 また、大江に関しては、次のエピソードも忘れてはならないでしょう。

大江健三郎金芝河との対談で、「世界はヒロシマを覚えているか」と問い掛けました。すると金芝河は即座に、「では日本は南京を覚えているか」と反問し、大江はそれにまともに答えることができませんでした。

 mujigeの資料庫:「世界はヒロシマを覚えているか(1)「ヒロシマ原爆も捏造だった?」」
 http://d.hatena.ne.jp/ytoz/20090320

 大江は2006年には南京大虐殺記念館を訪れていますし、私も最近の大江の言説を追っているわけではないので、「アピール」と『あいまいな日本の私』を並べて批判することは、適切ではないかもしれません。ですが、「九条の会」が、自衛隊日米安保に対する国民的支持ないし黙認といった日本国内の事情から、そうした問題に触れない「護憲論」を展開しているのは、結局のところ沖縄やアジアを軽視しているからではないでしょうか。

 北朝鮮にとって最大の脅威の一つである日米安保について、大衆に問題提起をしようと思えばいくらでもできる立場にあるにもかかわらず、それを怠り続けてきた一方で、北朝鮮との信頼関係の構築を訴える九条の会」/大江の姿勢は、やはり「他者感覚が完全に欠落した、歪んだ精神世界の産物」であると思います。【6/12 訂正】ことには疑問を感じます。たびたびの訂正すみません。表現が不適切とのご指摘を受けて修正します。なお「九条の会」を総体として批判しているわけではなく、私自身も呼びかけ人や「九条の会」に関わる人々から教わってきた(いる)ところが大きいことも付記しておきます。

 ・・・と、本来なら最初からここまで書くべきでした。まだ説明不足の点があるかもしれませんが、お気づきの点がありましたら、どうぞご指摘・ご批判ください。今後ともよろしくお願いいたします。

*1:てか、いまだに仮訳ってどんだけ北朝鮮蔑視なんだよ、と思って資料を検索していたら、なんと「世界人権宣言」や「障害者権利条約」まで仮訳のままだった・・・。わかりきっていたことではあるが、日本はしみじみ終わっている。しかも世界人権宣言の第21条3項は文法的におかしくないか?

*2:実際には、日本は拉致問題があろうがなかろうが北朝鮮を対等な国家とは見なしていない。

*3:http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200906090194.html

*4:日本とか日本とか日本とか米国とか米国とか日本とか

*5:数え間違いでなければ二回。そのうち一回は論旨には直接関係ない形で言及されている。ただし「日米同盟」という言葉は何度か使われている。

*6:大江健三郎、『あいまいな日本の私』、岩波新書、1995年、p.228

*7:前掲書、p.119

*8:「それは日本人にとどまらず、朝鮮語を母国語とする多くの人びとをふくんでいます」(前掲書、p.9)

*9:前掲書、p.26