北朝鮮バッシングスルーをスルーする週刊金曜日

 北朝鮮バッシングをひたすらスルーしていた週刊金曜日が、先週号(4/10号)で「北朝鮮 "人工衛星"打ち上げ 戦争ごっこに巻き込まれるな」という特集を組んでいた。

  1. このタイミング(打ち上げから5日後)で特集を組むって、どう考えても朝日的なアリバイ作り*1じゃね?
  2. ていうか、"人工衛星"(笑)的なセンスきもい。
  3. もしも、打ち上げによって日本人に被害が出ていたら、この特集もなくなってたかも。

と思いつつ読んでみた。記事は以下の3本である。

 結論から言うと、記事にはよいことも書かれていた。が、やはりアリバイ作りだった。このタイミングで特集を組むからには、少なくとも、

のうち最低ひとつには言及し、それらに反対するべきだろう*2。けれど、それもなかった。三つの記事の主張を一言でまとめれば、「戦争ごっこによって利益を得るのは、軍需産業と麻生政権だけなんだから、国民は騙されちゃだめだよ」というものになる。

 けれども、北朝鮮バッシングによって軍需産業と麻生政権が利益を得ることくらい、それに乗っかっている国民の多くも承知の上だろう。陰謀論や愚民観を好む週刊金曜日が決して向き合おうとしないものは、軍需産業の「陰謀」や、週刊金曜日を含むメディアに蔓延している愚民観など織り込み済みで、北朝鮮バッシングを続ける国民の差別意識であると思う。

 そして、当たり前のことだが、国民のこの差別意識を問わない限り、日本人は何度でも「戦争ごっこに巻き込まれる」。なぜなら、「私たち」は「かれら」の生を、命の価値を、当然のように見下し続けているのだから。

 ちなみに、青木理は、北朝鮮の打ち上げ物体を、カッコつきで「ミサイル」と表記し、成沢宗男は、「「人工衛星」を搭載していたから正確にはミサイルではなくロケット」と書き、成田俊一は、カッコなしで「衛星」としている。偶然だとは思うが、こうした表記の複数性からも、左右に無駄に幅広い読者層を獲得しようとする*3週刊金曜日のスタンス*4が伺える。

 ところで、他の雑誌はどうなのだろう?と思っていたら、どうやら『世界』も同じような状況にあるらしい。

 『世界』という雑誌そのものが「古本」なのです。

 同時代と対決しない「言論」は、言論ではありません。

 片山貴夫のブログ:「「古本」の値打ちしかない」
 http://katayamatakao.blog100.fc2.com/blog-entry-36.html

 笑える指摘である。ただ、良質な古本は、今でも同時代と対決している。先月の和田春樹の提案と、38年前の梶村秀樹の提案のどちらが、現代と対峙しているか?異論の余地なく後者だろう。

 日朝国交「正常化」と植民地支配責任:「和田春樹の天皇訪韓提案と「東アジア共同体」」
 http://kscykscy.exblog.jp/10524714/

 戦後責任ドットコム:「排外主義克服のための朝鮮史/梶村秀樹*5
 http://sengosekinin.peacefully.jp/data/data2/data2-4.html 

 同時代と対決するつもりのない、人道主義一般としての「平和」を言うのであれば、言論雑誌、知識人であるかのごとく装うのは、すぐに止めることです。

 岩波などの体制派「リベラル」が「朝鮮」に関わることをこのまま放置しておくならば、内鮮協和会や相愛会の現代版をつくる手伝いを(「人道主義」を掲げて)行ない、日本国民としての権益に準ずる多少の<代償>と引き換えに、本来の在日朝鮮人団体を解体、屈服、吸収させる策動を公然と行なう――という方向に行くでしょう。

 上の指摘は、少なくとも週刊金曜日では、すでに現実化している、と思う。

*1:典型的な例としては、法案が審議されているときには沈黙を保ち、法案が成立した翌日に、突如として「懸念」や「遺憾」の意を示す社説を掲載するなど。朝日の常套手段。

*2:もっとも、それらにしても、4月5日以前に指摘できる内容ではある。

*3:実際には読者は減る一方である

*4:実際にはセンスのなさ

*5:出典は、梶村秀樹、『梶村秀樹著作集 第1巻 朝鮮史と日本人』、赤石書店、1992年、pp.13-77