日本人原理主義下等(1)

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 しばらくネットをチェックしていなかったので、すっかり出遅れてしまったが、はてな界隈で、「反日上等」というプラカードをめぐって、ほとんどバッシングのような議論が起こっていた。といっても、私がこの件を知ったときには、すでに議論の当事者のエントリーがブログごと削除されていたりして、今から議論の流れを追うのも大変そうなので、角度を変えて、鈴木江理子著『日本で働く非正規滞在者』の紹介をしたいと思う。まあ、紹介と言ってもほとんどは批判なのだが、結果として「反日上等」バッシングに対する意見表明にもなるだろう。

 本書は、国内の外国人を「支援」するNPO/NGO関係者の中に、「国益」論的価値観を内面化し、外国人に対してパターナリスティックに振る舞う日本人が少なくない、という個人的な実感を裏づける内容で、こうした人々の「善意」にもとづく外国人「支援」の不吉な行く末をも暗示しているように思う。

 なお、公正を期すために最初に書いておくと、鈴木は非常に「リベラル」で、ネットで散見するだけでも、広範かつ意欲的に「外国人問題」*1に取り組んでいることがわかる。まさにイスラエル「シオニスト左派」を彷彿とさせる立場であり、それだけに日本の外国人「支援」運動の中で、鈴木の主張は説得力を持ちうるのではないだろうか。

 というわけで、今日から数回に分けて、本書の中身を批判的に検討していく。蛇足ながら、タイトルは「反日上等」からの連想である。

(1)「好ましい/好ましくない」外国人論としての日本人原理主義

 『日本で働く非正規滞在者』の著者・鈴木江理子は、「外国人問題」に取り組むNPO/NGOの理事や顧問を兼任し、「日本の外国人政策や外国人労働者、国際人口移動、地域社会の多文化化などについて研究するかたわら、外国人支援の現場でも活動」*2している。

 鈴木が本書を執筆した目的は、第一に、「長期にわたり日本で就労する男性非正規滞在者に注目し、これまで十分な研究が行われてこなかった彼らの就労実態を通時的に把握することで、労働者としての非正規滞在者を正当に評価すること」であり、第二に、「国家をはじめとする公的機関による公式な政策と実質的な対応、労働市場における雇用主の選択、メディア報道やホスト住民の意識や態度、NPO/NGOの活動など、非正規滞在者がこれまでおかれてきた日本の社会構造を解明」*3することであるという。鈴木はその狙いを次のように語っている。

強力な取締りによって日本社会から非正規滞在者が排除されている今このときに(注:労働者としての非正規滞在者に対する「正当な評価」を)明らかにしなければ、日本の産業の一端を担った非正規滞在者は、あたかも存在しなかったかのように忘れ去られてしまうであろう・・・本書が、今なお存在している十数万人の非正規滞在者に対する政策的対応やホスト住民の意識、日本で生活し、働いている外国人に対する理解、今後の外国人政策などを問い直す契機となることを切に願っている。*4

 ところで、「強力な取締りによって日本社会から非正規滞在者が排除されている今このとき」という表現は、戦後日本の入管行政において、それが該当しない時期を探す方がはるかに無理難題だと思うのだが、鈴木いわく、これは2001年の「同時多発テロ」以降の現象――2007年の日本版US-VISITの導入や、先日成立した入管法・入管特例法・住基法の改悪など――を指し、それ以前――1990年代――の「取締り強化をタテマエとした緩やかな排除」(強調は引用者による)*5とは一線を画すらしいのである。

 失笑することに、法務省入国管理局の統計をもとに、鈴木自身が作成した表*6を見ると、1994年以降に強制送還された非正規滞在者の人数/割合(年)は、37397人/13%(1994年)、54880人/19%(1995年)、52550人/19%(1996年)、48069人/17%(1997年)、45699人/17%(1998年)、50381人/20%(1999年)、45145人/19%(2000年)、35380人/16%(2001年)、33788/15%(2002年)、35911人/16%(2003年)、41926人/20%(2004年)、33192人/17%(2005年)、33018/19%(2006年)、27913人/19%(2007年)となっている。

非正規滞在者数と非正規滞在者数における被強制送還数の割合の推移

 参考までに、勝手にグラフを作成してみた。このグラフから、日本が非正規滞在者を「緩やか」に排除している時期を想定するのは、相当難しい、というか不可能に近いのではないだろうか。少なくとも、私にはさっぱりわからないのだが。

 本書はもともと博士論文として執筆されたものだということだが*7、小学生に突っ込みを入れられてもおかしくないような、こんな明白な矛盾を誰も指摘しなかったのだろうか。まあ、それ以前に、日本人が自国の入管政策を論じる際に、「緩やかな排除」などという専門用語(?)を持ち出す時点で終わっているのだが。ちなみに、本書には事実関係の誤認および論理的な破綻が少なくなく、その多くは著者の偏見に由来すると思われるが、それは個別に後述する。

 おそらく最も重要なのは、本書の副題が「彼らは「好ましくない外国人労働者」なのか?」という点である。というか、この時点でネタバレするように、本書は、外国人を「好ましい外国人」と「好ましくない外国人」に線引きする日本国家/日本人の権力を手放さずに済む範囲での「良心的」*8提言なのである。本書の目的である、「労働者としての非正規滞在者を正当に評価すること」についても、「正当な評価」を下す主体が日本国家/日本人であることの正当性をまったく疑っていない鈴木が、日本人原理主義者であることには、ほとんど異論の余地はない。鈴木は、坂中英徳的「リベラル」な日本人原理主義の一員なのだ。

 実際、鈴木は序章で次のように述べている。

 国際慣習法上、国家は「領土」への外国人の出入りに関して広範な裁量が認められており、特定の外国人に入国を認めるか否かを自由に決定する裁量を有している。「国境」管理は国家の責務であり、国民の安全と国家の秩序を維持するために、「好ましい外国人」と「好ましくない外国人」の線引きが行われることは当然のことであろう。したがって、国境管理を規定する法の逸脱者である「不法」滞在者の存在を、無条件に肯定することはできない。

 しかしながら、前述したように、合法的な滞在資格をもたないことは、必ずしも当該外国人のみに罪があるわけではないし、法や規則の制定や改定、あるいはその運用によって、非正規滞在者が生み出される場合もある。*9

 国際慣習法や国家/国民概念を所与の前提とする、鈴木のナイーブさ、あるいは確信犯的言明は、とりあえず置いておく。厄介なのは、「「好ましい外国人」と「好ましくない外国人」の線引きが行われることは当然のこと」という鈴木の主張は、レイシズムが蔓延する日本社会においては、ほとんど違和感なく受け入れられるだろう、ということである。

 仮に、これが、「高齢女性は「好ましくない女性」なのか?」/「「好ましい女性」と「好ましくない女性」の線引きが行われることは当然のこと」という主張であれば、それがセクシズムであるという批判を免れることはできないだろう。ところが、選別される対象が外国人になると、それがレイシズムであることを指摘する声は、途端にか細くなってしまう。もちろん、当事者の数が違いすぎることも理由の一つではあるだろうが、最大の原因は、日本人マジョリティが無自覚な日本人原理主義者であることだと思う。

 ところで、本エントリーで用いる日本人原理主義という概念は、国民主義――特に日本のように血統主義や同化主義を貫徹している国家における国民主義――を指す。だから、別に国民主義という用語をそのまま使ってもよいのだが、思うに日本人マジョリティにとっては、国民主義という言葉は何ら負のイメージを喚起しないのではないだろうか。

 例えば、護憲派の多くにとっても、国民主権というものは、外国人の参政権を否定する制度/イデオロギーとしては捉えられておらず、むしろ立憲主義の文脈で肯定的に認識されているように思う。単純化すれば、国家権力を抑制し、個人の人権を保障するためにこそ、国民主権が重要であるという認識である。

 けれども、民主主義国では国家権力はマジョリティによって作り出される(ということになっている)ため、立憲主義の理念は、(マジョリティではなく)マイノリティの権利を守ることにこそ、その本質があると言える。したがって、立憲主義の文脈で国民主権をありがたがるというのは、本来倒錯していると思うのだが、こうした倒錯は、過去の侵略戦争は「軍部の暴走」によるものであり、一般の日本人は戦争の被害者だった、というお決まりの欺瞞と極めて親和的である。どちらも、外国人の存在は眼中にないか、周辺視野でぼやけているのである。

 話を戻す。では、本書の結論は何なのだろうか?鈴木は、日本で働く非正規滞在者は「好ましくない外国人労働者」なのかという、自ら掲げた疑問に答えていない。それも当然のことで、鈴木のような「リベラル」な日本人原理主義者が、この質問に対して、YESであれNOであれ、答えられるわけがないのである。まして、質問自体が唾棄すべきレイシズムであるなどといった自覚があるはずもない。鈴木は、本書を次の言葉で締めくくっている(強調は引用者による)。

 交通手段の発達やグローバルな情報網の展開、拡大化する南北格差のなかで、国境を越えた人の移動は一層盛んになるであろう。その一方で、先進諸国は国境管理を強化し、「好ましくない外国人」に対する排除を強めている。主権国家として、非正規滞在者を減少させるためのより効果的な対策を検討することは、もちろん必要である。だがそれに加えて、彼/彼女らが、労働者としてどのような仕事を担い、いかなる労働条件や労働環境のもとで就労しているのかを理解し、正当に評価することも重要な取組みであると考える。なぜなら、労働者としての非正規滞在者は、受入れ国の社会構造を前提として行動し、それによって、社会構造を再生産したり変形するからである。*10

 「労働者としての非正規滞在者は、受入れ国の社会構造を前提として行動し、それによって、社会構造を再生産したり変形する」とは回りくどい言い方だが、後述するように、おそらく鈴木が言いたいのは、日本社会に必要とされる労働力を提供し、日本に同化しようと努める外国人は、たとえ非正規滞在者であっても(在留特別許可による)受け入れを検討することが「多文化共生」への道である、ということだろうと思う。もっとも、鈴木はこれほど露骨な物言いはしてはいないが。

非正規滞在者を支えるNPO/NGOは、子どもの存在にかかわらず、長期にわたり日本で真面目に働き、日本を支えてきたという社会的実態を根拠として在留特別許可が認められるべきであり、さまざまな権利が剥奪されている状況から、いち早く救済されるべきだという主張を行っている。だが、個々の家族の在留特別許可を支援するなかで、広くホスト社会からの賛同をえるために、「日本で学び続けたい」、「日本で将来の夢を実現したい」という子どもの声が強調されることが多く、そのような運動を伝えるメディアも「子ども」に焦点を当てた報道に偏りがちである。そしてその結果として、「罪のない」子どものいない非正規滞在者は、新たな在留特別許可の「基準」から排除され、「外国人犯罪の温床」というスティグマを背負うことになった。*11

 興味深いのは、516ページにもわたる本書の中で、鈴木がほとんどまったくと言ってよいほど「ホスト社会」とやらに対する批判的な考察をしていない点である。上記はまるで、子どものいる「善良」な非正規滞在者の権利が守られることで、子どものいない「善良」な非正規滞在者は犯罪者扱いされてしまう、本当は誰も悪くないのに・・・というような論理になっている。悪いのは外国人を「犯罪の温床」と見なす日本人(のレイシズム)に決まっていると思うのだが、本書が日本人のレイシズムについて取り上げている箇所はない。これでは「反日上等」と言いうる外国人*12の権利が守られるはずはないだろう。

 以上が総論である。次からは各論を見ていくことにする。

 (次回に続く)

*1:実際は日本人問題だが

*2:鈴木江理子、『日本で働く非正規滞在者―彼らは「好ましくない外国人労働者」なのか?』、明石書店、2009年、著者紹介より

*3:前掲書、p.5

*4:同上

*5:同上、pp.93-98

*6:同上、p.149

*7:同上、p.515

*8:ただし、後述するように、本書には例えば日系南米人などに対するレイシズムとしか言いようのない記述が見られる。

*9:同上、p.28

*10:同上、pp.491-492

*11:同上、p.223

*12:実際に「反日上等」というようなことを言うかどうかはともかくとして、日本人原理主義を心底快く思っている外国人がいるとはとても思えない。