「唯一の被爆国」は北朝鮮の核実験を非難できるか(5)

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 では、次に2について見てみよう。

  1. そもそも日本は「唯一の被爆国」ではない
  2. そもそも被爆「国」って何だよ

被爆「国」って何だよ

 これについては、以前のエントリーの繰り返しになるが、「広島・長崎で被爆したのは日本人だけではない。広島では7万人、長崎では2万人の朝鮮人被爆したと言われているが、朝鮮人は慰霊碑さえ自分たちの手で作らなければならなかった」という事実を指摘すれば足りるのではないかと思う。

 とはいえ、これだけでは説明不足だろうから、以下に伊藤孝司の『原爆棄民』を引用する(太字は引用者による)。かなり長くなってしまうのだが、これらはすべて解説文なので、できれば本書の証言を直接読んでいただきたい。

 さて、韓国・朝鮮人被爆者の証言と日本人被爆者の証言とは、「原爆と人間」という一般的な視点から見る限り、原爆に対する憎しみや怒り、恐怖感など、階級や民族を超えた共通の型を示している。しかし、一歩踏み込んで、社会的、民族的存在として両者を対比していく時、そこには、つぎのようないくつかの異なる特徴が存在する。

 第一に、韓国・朝鮮人被爆者の証言のすべてが、なぜ自分や親たちが日本に渡り、広島・長崎に行かねばならなかったのか、という被爆前史からはじまり、それは必然的に1910年の日韓併合と「日帝支配36年」に行き着くことになる。つまり、アメリカの原爆攻撃の前に、日本による朝鮮の略奪とアジア侵略の15年戦争があり、その時点において彼らはすでに母国を追われ、いっさいの権利と生活、文化をじゅうりんされた棄民、あるいは流民として渡日し、その多くが強制連行、あるいは一家離散の悲劇を体験しており、渡日後の差別と抑圧の体験もまた深刻であった。このことは、あとで彼らの多くが「原爆も地獄だったが、炭鉱も軍隊も地獄だった」と証言したことによっても裏付けられる。

 第二に、被爆時の状況が日本人の場合と異なり、その多くが戸外での作業中か、粗末な飯場内での被爆であったために、被害もそれだけ深刻で、被害後の救援も日本語が話せぬために手遅れになったり、時には放置されるという事態も起った。「アイゴー!(ああ!)」という悲鳴が差別ないし忌避の対象ともなった。

 また、彼らの多くは流民で頼るべき身寄りや共同体を持たず、広島のように戦前からの移住者が多い場合でも、爆心地に近く、共同体自体が崩壊し、新しい離散と死別が相いついだのである。

 第三に、戦後の韓国・朝鮮人被爆者たちの健康と生活・権利の問題をあげねばならない。それは、日本、韓国、朝鮮民主主義人民共和国のどこに居住するかによって条件が異なり、画一化できないが、日本残留、帰国のいずれの場合も、日本人被爆者とは異なる幾重もの苦難を背負わされることになった。祖国分断、朝鮮戦争などの朝鮮半島をめぐる戦後史の悲劇は、日本政府の一貫した外国人差別、抑圧政策によって市民権を奪われ、生活、健康、精神のすべての面で、深刻な苦痛を味わされた。

 韓国に帰還した被爆者の場合には、病気や貧困に加えて、言語・習慣の違いや、戦中の日本への協力などの理由による差別、原爆症の知識欠如から来る偏見など、精神的苦痛はさらに大きく、しかもそれはいっそう増幅しつつ今日まで持続しているのである。

 第四に、このような二重三重の苦悩を背負わされた韓国・朝鮮人被爆者の意識の問題を挙げねばならない。彼らにとって日本人の被爆は、あのような無謀な侵略を日起し、自ら原爆を招く結果になっただけのことであるが、その被爆の苦しみをなぜわれわれが強いられるのか、一切の原因は日本人にあり、日本帝国主義にある、という激しい憎悪と恨みを、彼らの多くが抱いていたことである。たとえば、1978年に広島県朝鮮人被爆者協議会がまとめた広島在住朝鮮人被爆者の実態調査の結果では、被爆の責任」を「日本」と答えている人が168人で全体の80パーセントを占めていることでも、このことがわかる。

 もちろん、原爆投下の直接の命令者はトルーマンであり、アメリカはその非道な加害責任を全面的に取らねばならない。しかし、このことは、日本政府の朝鮮略奪や侵略戦争という、原爆前の加害行為を冤罪することにはならない。まして日本政府は、サンフランシスコ条約アメリカに対する賠償請求権を放棄した以上、日本の被爆者へはもちろんだが、それ以上に、まず韓国・朝鮮人被爆者への国家補償を行うべきであろう。

 こうして、韓国・朝鮮人被爆者とは、アメリカの原爆犯罪と同時に日本の侵略戦争犯罪をも告発する存在であり、また戦後から今日に至るそれらの犯罪の隠蔽と加害放置の責任、さらには新たな核戦争への陰謀を、もっとも強く告発してやまぬ存在なのである。*1

 日本が被爆「国」であるいう言説から抜け落ちているもの――それは、「40年近くの日本の植民地支配と棄民政策、15年にわたる侵略戦争、そして戦後の対米追従と賠償責任回避、国内での差別と抑圧の持続、1965年の日韓基本条約での切り棄て、という一連の文脈でとらえるべき」*2朝鮮人被爆者の存在に他ならない。

 それでもなお、被爆「国」という言葉を用いる人たちには、その言葉が示す実体は、戦後の日本ではなく、大日本帝国だろうと言いたい。広島・長崎において、日本/日本人の戦争・戦後責任を後景化し、被害体験を前景化することは、論理的にも倫理的にも間違っている、と。

「唯一の被爆国」が核廃絶の実現を妨げる

 以上に見てきたように、日本が「唯一の被爆国」であるという言説は、日本/日本人が被爆体験の語りを占有することによって、結果として核廃絶の実現を妨げる役割を果たしていると思う。

 日本が植民地支配・侵略したアジア諸国では、日本の敗戦(によってもたらされる解放)を早めた広島・長崎への原爆投下に対して、それを肯定する(せざるをえない)声も少なくないだろう。けれど、もしも、日本/日本人が自らの戦争責任・戦後責任と真摯に向き合い――日本は「唯一の被爆国」であるなどというバカなことを言い出さず――朝鮮人被爆者に対して、日本人被爆者と同等あるいはそれ以上の国家補償を行っていたとすれば、どうだろう*3?そのときには、日本は米国にとっての利用価値もそれほど高くない、アジアの一小国になっていたかもしれないが、たとえそうであったとしても、核廃絶を願う日本/日本人の取り組みは、今とは比べ物にならないほどの説得力を持って、世界に受け入れられていたはずである。

 さて、ここで最初のエントリーで紹介した、北朝鮮の核実験を非難する広島・長崎の声を伝える中国新聞の記事を見てみよう。

核廃絶の機運に冷や水 広島・長崎の被爆地の憤り、激しく」(2009.05.25 中国新聞

 http://www.chugoku-np.co.jp/News/Sp200905250213.html

 オバマ米大統領の演説で核廃絶の機運が高まる世界的な動きに、冷や水を浴びせた北朝鮮の地下核実験。「全人類への挑戦だ」「核に頼るのは誤り」。かつて焦土と化した広島、長崎からは激しい憤りの声が相次いだ。

 核拡散防止条約(NPT)再検討会議の準備委員会で演説した広島市秋葉忠利あきば・ただとし市長は「被爆地の核兵器廃絶への願いを踏みにじる暴挙で、強い憤りを覚える」と厳しい口調で北朝鮮を非難。

 「核兵器のない世界」を表明したオバマ米大統領の演説からわずか一カ月半後の核実験に「こうした挑発的行動が、ほかの核保有国や保有願望国の核開発を加速させる」と懸念を表明した。

 これも以前の内容と重なるが、「オバマプラハでの演説は、真に受けたところで、核廃絶に対するやる気のなさを確信させるような内容である」。もっとも、オバマ「ホワイトハウス入りしてすぐに「アメリカは拷問をしない」と主張した」くせに、「実際にはグアンタナモ刑務所閉鎖どころか、同じように拷問が行われている海外の秘密収容所(バグラム基地等)も依然として維持し」、「ブッシュ同様に、容疑ナシ、裁判ナシで“テロ容疑者”の恒久的拘束を支持している」ような人間なので、真に受けようがないとも言えるが。

 私の闇の奥:「オバマ大統領は本当に反核か?」
 http://huzi.blog.ocn.ne.jp/darkness/2009/04/post_ddd0.html

 21世紀の日本と国際社会:「オバマ大統領の核兵器廃絶に対する基本認識」
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/288.html

 それにしても、「全人類への挑戦」って・・・。北朝鮮政府は人類じゃないのだろうか?

 準備委に合わせ国連本部でスピーチした被爆者の岡田恵美子おかだ・えみこさん(72)=広島市東区=は「大統領演説で、長いトンネルに光が差したように感じていたのに…。がっかりすると同時に怒りでいっぱい」と話した。 

 「金正日(総書記)に原爆資料館を見てみろと言いたい」と語気を強めたのは、被爆体験を語り続ける細川浩史ほそかわ・こうじさん(81)=同市中区。修学旅行生らでにぎわう同市中区の平和記念公園で「自分の頭上に落ちないと分からないかもしれないが、そのときでは遅い」。

 被爆者に対して無神経であるという批判は甘受する。編集によって発言のニュアンスが加工されているのかもしれないとも思う。だが、「金正日(総書記)に原爆資料館を見てみろと言いたい」というのは、あまりにもひどい物言いではないだろうか。

 「前掲の表3*4によれば、広島・長崎で被爆したあと、帰国した被爆者は約2万3000人と推定されているが、このうち約2万人が韓国、残り3000人が北側の朝鮮民主主義人民共和国へ帰った、と推定されている。」*5

 「世界にある3万発の核兵器のうち0.01%を手にしていると言われる朝鮮の指導者は、日本の植民地支配を逃れて中国に移住したパルチザンを両親に持ち、日本の討伐隊に追われてロシアの野営地で生まれ育った難民の息子であった。そして朝鮮戦争の際は再び米軍のB29による絨毯爆撃を避けて中国に疎開し、瓦礫の山となった平壌へと戻ってきたのだった。」

 訳者あとがきβ版:「『二等兵の手紙』と『JSA』――59年目の6・25によせて。」
 http://d.hatena.ne.jp/mujige/20090625/1245930653

 広島と長崎で9万人もの朝鮮人被爆したことを、日本人が忘れているとしても、金正日が忘れている、などということがありえるだろうか?朝鮮戦争中、米軍の核の脅威によって、多くの朝鮮人が南北に一家離散したことを、日本人が知らないとしても、金正日が知らない、などということがありえないように。

 かりに、金正日が「原爆資料館」を訪れることがあるとすれば、死んでまでも自分たちを差別・分断し続ける日本に対して恨を募らせて当然だと思うのだが、発言者は金正日が「改心」するとでも思っているのだろうか?公平に言って、「改心」するべきなのは、「ある国の核実験には「唯一の被爆国」として、ある国の核技術に対しては「同盟国」として、都合よく立場を変えるような」日本/日本人の方ではないのか?

 「広島では韓国人原爆犠牲者の碑が、平和公園の外にあります。なぜ公園の中に建てさせてくれないのですか。日本人の碑と同じように、平和公園の中に移して下さい。死んでまで差別されるのはたまらないです」(白麟基 Paek In-Ki 「韓国に原爆病院を建設して下さい」)*6

 (※韓国人原爆犠牲者慰霊碑は、1999年にようやく平和公園内に移設されたが、同年の10月17日には慰霊碑にペンキがかけられる事件が起きた。)

 「自分の頭上に落ちないと分からないかもしれないが、そのときでは遅い」という、「被爆前史」を欠く被爆体験は、朝鮮人(あるいは中国人)被爆者の証言と比較することで、初めて(逆説的に)訴求力を持つように思う。

 「世界核安全サミット」の地元開催を呼び掛ける長崎市の田上富久たうえ・とみひさ市長も「核廃絶の流れが広がるタイミングを狙った悪意を感じる。国際社会への挑発で、核をなくさない限り、こうしたことが繰り返される」と述べ、北朝鮮に抗議文を送ることを明らかにした。

 「悪意を感じる」と言われても・・・普通に気のせいなんじゃないだろうか?

 「まず、私たちがしっかり踏まえるべきことは、金正日の朝鮮はモンスターでも何でもなく、巨象(アメリカ)、ライオン(日本)、虎(韓国)にいつ何時襲われるかもしれないと極度の緊張状態に置かれているハリネズミ(朝鮮)であるということです。金正日は、猛獣に取り囲まれて窮地に陥ったハリネズミさながらに、身を逆立てて絶望的な状況を何とかして打開しようと必死になっているであろうということです。朝鮮が行ういかなる軍事行動(核実験、ミサイル発射を含む)も、いつ襲ってくるか分かったものではない巨象、ライオン、虎に対して精一杯針を逆立てて我が身を守ろうとする自己防衛本能の現れにほかならないのです。そのような行動を「脅威」であると決めつけるアメリカ、日本、韓国の姿勢は、朝鮮(金正日)から見れば、朝鮮を押しつぶそうとする強圧以外の何ものでもないでしょう。」

 21世紀の日本と国際社会:「朝鮮の核問題解決の糸口:朝鮮の主張に耳を傾けてみよう」
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/289.html

 「これを契機に日本で核武装論が出てくることに気を付けなければ」と懸念するのは長崎原爆被災者協議会の山田拓民やまだ・ひろたみ事務局長(77)。長崎原爆遺族会の正林克記まさばやし・かつき会長(70)は「北朝鮮が孤立しない方法を考えなければいけない」と述べた。

 原爆症認定訴訟をめぐり、民主党などに支援の申し入れを行った日本被爆者団体協議会の田中熙巳たなか・てるみ事務局長(77)は「核兵器など使えるわけがない。大統領の発言以来、核廃絶の実現に向けた流れが出来上がりつつあったのに、本当に残念だ」と無念さをにじませた。

 広島の核廃絶運動の問題点については、以下のエントリーが参考になります。

 21世紀の日本と国際社会:「広島の「平和」とその含意 」
 http://www.ne.jp/asahi/nd4m-asi/jiwen/thoughts/2009/287.html

 また次回に続く。

*1:伊藤孝司、(解説/鎌田定夫)、『写真記録 原爆棄民―韓国・朝鮮人被爆者の証言』、ほるぷ出版、1987年、pp.225-226

*2:前掲書、p.229

*3:日本人被爆者もたいして補償されていないと言えばそれまでだが、それはまた別の問題だろう。

*4:「韓国人被害状況の推定」、韓国原爆被害者協会、1972年4月発表

*5:前掲書、p.227

*6:前掲書、p.195