シオニズムの退路を断つ

 id:zames_makiさんからいただいた質問にお答えします。

パレスチナ問題は今後どのように推移するのか、イスラエルの目指すゴールは何か
2対してパレスチナ問題はどのように解決されるべきなのか?
3その時アメリカ、又日本はどのような動きをとるべきなのか?

 コメント全体を読んで強く感じたことですが、zames_makiさんと私とでは、問題設定の仕方が微妙にずれていて、それが結論にまで響いているように思います。私の問題意識は、ただ、

  • パレスチナ問題を解決可能にするための前提をどのように作っていくか?

ということに尽きます。この差は小さいようで実はとても大きなものなのかもしれません。ですので、いただいた質問に答える前に、まずはそのことについて述べてみます。

パレスチナ問題の解決手段は明らかである

 単に手段を論じるだけなら、パレスチナ問題の解決方法は明らかです。イスラエルが1967年の停戦ラインまで撤退し、パレスチナ難民の帰還権を認め、ユダヤ人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国を作ること。それこそが、ユダヤ人とパレスチナ人との共存を唯一可能にする道です。というか、むしろそれ以外に進むべき道がありません。

 二国家解決については、それが(少なくともパレスチナ人にとっては)何も解決しないことが、「和平交渉」と呼ばれるものを通じて明らかになっていると思います。P-navi infoのビーさんの文章を以下に引用します。

 今、和平交渉で目指されているのは、すでに現実化している状況を、パレスチナ「国家」という形でパレスチナ人に受け入れさせることだ。ところがパレスチナ人は自分たちが生きている現実から、もう知ってしまっている。切れ切れにされて領土としての一体性を持たず、独立した経済基盤もほとんど失っているこの状態を国家とは呼べないことを。あり得るとしたら、本当に南アフリカアパルトヘイト時代に作り出したバンツースタンと同じ擬似国家でしかない。
 イスラエルが望むような既成事実が積み重ねられるほど、パレスチナのなかでは二国家解決が何も解決しないことが皮肉にも明確になってきた。そもそも、今、目指されているのは、二「国家」でもなく、ひとつの人的集団がもう一方の人的集団を永続的に従属させていくシステムであることがあらわになっているからだ。そして、パレスチナでは一国家解決を支持する声が高まりをみせている。*1

ではなぜパレスチナ問題は解決されずにいるのか

 では、どうしてパレスチナ問題はこれまで解決されずにいるのでしょうか?その最大の原因は、米国がイスラエルを支援しているからでも、国際社会が無関心だからでもなく、イスラエルユダヤ人がパレスチナ人との共存を望んでいないからです。

 イスラエルでは、左派と右派のあらゆる差異は、このシオニズムイスラエルユダヤ人(だけ)の国にしようとする立場―に回収されてしまいます。このことを示す端的な例として、イラン・パペは、「私の夢はある朝起きたら、イスラエルの中にアラブ人がだれ一人いなくなっていることだ」*2と語ったリベラル・左派の政治家の例を挙げています。

 そもそも、1948年にパレスチナ人の民族浄化を実行したのも、左派の労働党でした。要するに、イスラエルの左派というのは、たとえ占領政策の批判をすることがあるとしても、イスラエル国家のユダヤ性については、それを不可侵のものとして徹底的に擁護し続けてきたわけです。

「リベラル・シオニズム」をより説明的にすれば、「リベラルな装いでパレスチナ人差別・弾圧を正当化すること」です。現実のイスラエル国家においてシオニズムとは、どこまでも徹底的に「対等な権利主体」としてのパレスチナ人存在の否定です。イスラエル国内にいるパレスチナ人だろうと、東エルサレムにいるパレスチナ人であろうと、占領地にいるパレスチナ人だろうと、あるいは国外難民となったパレスチナ人であろうと、ユダヤ人と同等の権利をもってパレスチナイスラエルに住む権利が認められることはありません。この点は、繰り返しますが、労働党だろうとピースナウだろうと、そうなのです。

 パレスチナ情報センター:「シオニズムはリベラルになりうるのか――ヤエル・タミール『リベラルなナショナリズムとは』をめぐる勘違い」
 http://palestine-heiwa.org/note2/200705230511.htm

 つまり、パレスチナ問題と呼ばれるものを作り出し、それを未解決のままこじらせている最大の要因は、イスラエルシオニズムにあります。

パレスチナ問題を解決可能にするための前提をどのように作っていくか?またはいかにしてシオニズムの退路を断つか

 そういうわけで、解決手段が明らかであるはずのパレスチナ問題を実際に解決するためには、いかにしてシオニズムの退路を断つか、という問題に向き合わなければなりません。これについては、とてもお勧めのエントリーがあるので、まだ読んでいない方はぜひ読んでみてください。

 モジモジ君の日記。みたいな。:「本気でイスラエルがかわいそうだと思うなら」
 http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20090110/p1

 私たちはイスラエル占領政策を批判しなければなりませんが、それだけでは、パレスチナ問題を解決可能にするための前提を作ることはできないと思います。むしろ、私たちが自らの内にあるシオニズムを不問に付したまま、イスラエルを批判するのであれば、その偽善性は、かれらのシニシズムに根拠を与え、シオニズムを培養する糧にしかならないのではないでしょうか?そうだとすれば、私たちにはシオニズムの退路を断つことはできません。もしも、私たち自身が、他者を排除・抑圧することで得てきた特権を、自ら捨てようとしないのであれば。

 イスラエルに対してパレスチナ人との共存を呼びかけるその口で、在日外国人に対する差別を容認したり、野宿者に対する排除を許容したり、フリーターやニートや派遣の「自己責任」を煽るのであれば、それはイスラエルの自己正当化の道具にさえなるでしょう。私たちが、自分自身の中にある差別と向き合わずに、臆面なくイスラエルを批判することと、イスラエルの左派が、シオニズムと対峙せずに、厚かましく和平を唱えることは、実はとてもよく似ていると思います。

 「お前たちだって、結局は自分たちさえよければどうでもいいんだろう?」――この居直りがイスラエル占領政策の根幹にある限り、私は、「パレスチナ人が自分たちだけのための国家を要らないということ、これがイスラエル政府の最も恐れていることだ」*3というビーさんの主張に全面的に賛同します。私たちは、自分たちだけのための世界を拒否しなければなりません。すべての人がともに暮らす一つの世界を作るためにも。

ふりだしにもどる

 以上が、zames_makiさんのコメントに対する答えですが、これだけでは不十分かもしれないので、ふりだしにもどります。

パレスチナ問題は今後どのように推移するのか、イスラエルの目指すゴールは何か

 イスラエルユダヤ人がパレスチナ人との共存を目指さないとすれば、そして、私たちがパレスチナ人との共存を目指さないとすれば、パレスチナ版のホロコーストも起こりうると思います。

2対してパレスチナ問題はどのように解決されるべきなのか?

 イスラエルが1967年の停戦ラインまで撤退し、パレスチナ難民の帰還権を認め、ユダヤ人とパレスチナ人がともに暮らす一つの国を作ることによって。また、それを不可能にしている、イスラエルの、そして私たちの内にある、シオニズムを克服することによって。

3その時アメリカ、又日本はどのような動きをとるべきなのか?

 2を可能にする具体的な取り組みをするべきだと思います。

補足(長い)

 以下に補足をします。上記の文章も含め、コメントを歓迎しますので、疑問点や反論などあればフィードバックしてください。

現状ではイスラエルの虐殺はパレスチナ人全員を殺すまで止まらないでしょうね。食料も建設資材も武器も制限されたガザでは、だんだんと抵抗はできなくなる。数ヶ月後、数年後には再びイスラエルによる虐殺が行われ、その時には物理的に抵抗する資源はなくなっているかもしれない。イスラエルはそれを何回も繰り返し、次第にパレスチナ人の抵抗のための資源と環境を奪っていき、最後には意志をも奪って、パレスチナ人がガザから「自主的に」逃げ出すのを待っているのでしょう。そしてその次は同じことを入植地を基盤にしてヨルダン川西岸で行うのでしょうね。今の情勢ではそれが完結するまで数十年かかり、その間我々人類全体はこの不正を見逃し続けるのでしょうね。

 国際社会の黙認が織り込み済みである点も含め、イスラエルの戦略がそのようなものであるということには同意します。ただ、私としては、zames_makiさんが、なぜイスラエルの戦略をご自身のパレスチナ展望として語っているのかが、正直よくわかりません。

 2005年現在、ヨルダン川西岸とガザとイスラエル内のパレスチナ人の総人口(推計550万人)は、入植者を含むイスラエルのユダヤ人の総人口(約550万人)と拮抗していると言われています。これだけの人々を虐殺し、難民にしようとするイスラエルの「戦略」が、あたかも既定事実のように語れるほど破綻していないとは、私にはあまり思えません。もちろん破綻した戦略が実行に移された例は歴史上いくらでもありますが、それをzames_makiさんが共有する必要はないんじゃないでしょうか。

 問題のキーはイスラエルの不正を世界1の大国アメリカが強力に支持している事でしょう。今でもアメリカの強力な支持がなければ、国連の非難があり各国からの経済封鎖にあえば、イスラエル国民は考え直さざるを得ないでしょう。ここで大事なのは軍事力ではなく国際的な批判という圧力が、イスラエル国民に紛争の実際の姿に気づかせ、反省を促し動かす事ではないか。国際的批判という言論の力が民主主義国家の主権者であるイスラエル国民に「なんらかの妥協」を探る方向へ動かすでしょう。

 おっしゃる通り、アメリカは問題のキーだと思いますが、唯一のキーではないことも確かです。そうでなければ、現在ラテンアメリカで起こっていることは説明できません。イスラエルに国際的な圧力をかけることは不可欠ですが、私たち自身がリスクを背負わない限り、イスラエルを説得するのは難しいと思います。

 「なんらかの妥協」とはより平等な形でのイスラエルパレスチナ2国家の建設でしょうね。あるいはイスラエル国家へのパレスチナ難民の帰還を認めることかもしれない、どちらも今のイスラエル政府にとっては到底受け入れることの出来ない妥協(いや敗北)でしょう。

 私は一国家解決を支持します。それがイスラエル政府にとって敗北でしかないなら、さっさと敗北すればよいと思います。

 しかし現状では不正の基盤たるアメリカ自身の不正さはなくなりそうもありません。強力な政治的影響力を持つアメリカのユダヤ人は自らの行為を自分で反省し正すことはないように思われる。彼らは自分への表立った批判がないので、パレスチナの全ての土地がイスラエルのものになるまで平気な顔をしてイスラエル支援をアメリカにさせ続けるのでしょう。
 しかし私にはアメリカの非ユダヤ人がなぜ自国の不正さに目を向けないのかわかりません。ここまでの60年間でイスラエルの不公正に関する「より多くの情報」がアメリカの非ユダヤ人に入手しやすくなったはずです。しかし現状ではアメリカ社会が自国の不公正さを正す方向に動くように思えません、その兆候もあるように思えない。

 「なぜ自国の不正さに目を向けないのか」ですが、単純に知りたくないから、ではないでしょうか。シオニスト右派のスローガンであり、左派の本音でもある、「やつらはいなくなるべきだ」という棄民政策を、かつて実行に移した国があります。1959年から1984年にかけて、「われわれ」は、9万3340人の「やつら」を「地上の楽園」に追放しました。この歴史的事実を「われわれ」が選択的に忘却していること――それこそが、ここで真に問われるべき命題ではないでしょうか。

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 こうしてアメリカが変わらない限りパレスチナ問題は解決するとは思えない。であれば、日本やイギリスなどその他の国がするべきことは何か?それは世界的な言論の力しかパレスチナ問題を解決する事はできない、という事です。
 唯一の解決の方向は、日本でそして欧州各国でイスラエルの不公正さを糾弾することであり、又イスラエルを強力に支持するアメリカを批判することでしょう。同時に日本を含めた中国やアジア、アフリカ諸国など第3者からも公正さという点からイスラエルアメリカへの批判が起きること、それが圧倒的になること。それによって初めてアメリカのユダヤ人、そしてアメリカの非ユダヤ人にこの問題への反省と見直しが起きるのではないか?また同時にイスラエル国民にも自らの行為への反省が起きるのではないか?

 この点については、すでに述べたつもりなので、ここでは触れません。

 そういうかなり遠い先までパレスチナ人は殺され続ける、彼らは殺される事で世界にイスラエルの不正を訴え続ける事になる。パレスチナ人は自分が根絶しになる(絶滅される)のと、世界がイスラエルの不公正さに強く声をあげてくれるのと、どちらが早いか、自分たちの命をかけた賭けを強いられている、と言うべきではないでしょうか。それは現状では見通しの暗い不利な競争かもしれない、しかしパレスチナ人にはそれしか選択肢はないように思えます。

 賭けられているのは本当にパレスチナ人の命だけなのでしょうか?私にはそうは思えません。世界中のあらゆる不正の中で、パレスチナ問題だけが解決されることはありえないし、パレスチナ問題だけが解決されないことも、またありえないと思います。

*1:エリック・アザン、『占領ノート』、現代企画室、2008年、pp.196-197

*2:イラン・パペ、『イラン・パペ、パレスチナを語る―「民族浄化」から「橋渡しのナラティヴ」へ』、柘植書房新社、2008年、p.94

*3:エリック・アザン、『占領ノート』、現代企画室、2008年、pp.198