村上春樹への手紙

 村上春樹エルサレム賞受賞を、村上作品の立場から批判します。初歩的な三段論法なので矛盾はないはず。

  1. 村上春樹が「小説を書く場合に目指しているもの」は、「明確なひとつの視座を作り出すことではなく、明確な多くの視座を・・・作り出すのに必要な「材料」を提供すること」*1である。
  2. イスラエルは、「明確なひとつの視座」(=シオニズム)を守るために、「明確な多くの視座を・・・作り出すのに必要な「材料」」(=パレスチナ人の物語)をつねに置き去りにしてきた。その象徴が「エルサレム」賞である。
  3. ゆえに村上春樹エルサレム賞を(少なくとも無批判に)受賞するのはおかしい。

 2の前半は、より直截的に、
「明確な多くの視座を・・・作り出すのに必要な「材料」」を守るためには、その語り手である人間の命全般を尊重しなければならない。けれども、イスラエルはそれをしようとしていない。
と言い換えてもよいと思う。

 かつて、藤永茂は、アメリカ先住民を「純粋な」学問対象として扱おうとするレヴィ・ストロースを、徹底的に批判した。インディアンたちがモノとして研究の対象にされることに苛立っているのは理解できるが、自分たち民族学者は研究を通じてかれらに奉仕しているのだから、インディアンたちはそれをありがたく受け入れるべきである――というレヴィ・ストロースの発言に対して、物理学者である藤永は次のように言う。

ここに示された、科学者としてのレヴィ・ストロースvulnerabilityは、私には何とも信じがたい。さらに、純粋にプラグマティックな立場から出発してみても、レヴィ・ストロースの言葉はindefensibleに見える。彼の貴重な標本の存続がそれほどまでに大切なら、哲学論議はさておき、アメリカ政府の一貫した同化政策、近くは「終結」政策になぜ反対しないのか。また現在ただいま進行中のブラジルのインディアンの、白人たちによる、ゼノサイドをなぜ止めようとしないのか。標本がそれほど大切ならば、それを破壊している力を明確に認識し、それを阻止したらよい。それを認識するには、構造主義という認識論的方法など要らぬ。

アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)

アメリカ・インディアン悲史 (朝日選書 21)

 そういうわけで、村上春樹に宛てて手紙を書きました。手紙は、みなさんからいただいたメッセージと一緒に、2月6日(金)に投函します。

拝啓 村上春樹さま

 まず始めに、このような機会がなければ、村上さんにお手紙を差し上げることもなかっただろうと思うことをお詫びします。私は小説家に宛てて手紙を書いたことはこれまで一度もありませんでしたし、もしかすると、これからもないのではないかという気がします。その内容が、よりによって村上さんが受賞されるエルサレム賞にケチをつけることだというのは、どう考えてもおかしなことだと思われるかもしれません。けれど、どうか気を悪くせずに読んでいただきたいと思います。私が語ろうとしているのは、エルサレム賞のことでもあり、村上さんが紡ぎ出す物語のことでもあります。

 『約束された場所で』を読んだとき―正確には読み終わってしばらくして電車に乗っていたときですが―、突然、私の頭の中に、オリーブの木のイメージが、暴力的なまでに圧倒的に迫ってきました。ご存知でしょうか?イスラエルにある森林の9割は、本来の植生―サボテンやオリーブ、アーモンドの木々など―をなぎ倒し、それとは異質な針葉樹―松や杉など―を新たに植林したものなのです。おそらくは、パレスチナの地をユダヤ人のためだけの「約束された場所」にするための、それは記憶の抹殺なのだと思います。

 イスラエルは『世界の終り』で「僕」が訪れる街と似ています。人々が心を失くすことで成立している完全な世界には、夢読みがいなければ誰にも読まれることのない無数の頭骨の夢が沈んでいます。ガッサーン・カナファーニーというパレスチナ人の夢読みが殺されたのは、1972年の7月のことでした。カナファーニーは、1948年にパレスチナの人々に起こった出来事―「古い夢」―を、まるで何かに憑かれたように、死の間際まで読み続けていました。

 家族とともに故郷を追われ、難民となった「ぼくら」のひとりは、かつて父親の心の支えであった自分たちが、いつのまにか彼にとって忌まわしい存在と成り果ててしまう、そんなストーリーを語ります。

ぼくらは彼のこの新たな人生を支配している巨大な悲劇の壁となっていた。朝、ぼくらに向かって山に行けと彼が命じるのは、朝ごはんが欲しいなどとぼくらに言わせないためなのだとすぐに悟ってしまう、ぼくらはそんな、呪われた子どもたちの一人でもあった。

 ある日、子どもたちの誰かが父親に何かをねだった、そのとき――

 やにわに彼は跳ね起きて、雷に打たれたかのように全身を震わせはじめた。そして、燃えるような眼でぼくらの顔を睨んだ。あるおぞましい考えが彼の脳裡にひらめいたのだ。非のうちどころのない結末をついに発見した者のように彼はその場に直立した。

 ぼくらには事態がよく呑み込めていなかった。だが、ぼくは覚えている。きみの父さんのすぐ傍らの床の上に一丁の拳銃が転がっているのを目にしたとき、ぼくはすべてを了解したのだった。まるで食人鬼に出くわした子どものように、心臓が止まるような恐怖心に駆られて、ぼくは山に向かって一目散に駆け出した。家から逃れようと必死で。
 家から遠く身を引き剥がしたとき、同時にぼくは、幼年時代からも身を引き剥がしたのだった。ぼくらの人生はもはや、つつがなく生きられるような、容易で甘美なものではないのだ。事態は、ぼくたち一人ひとりの頭に弾丸をぶち込むことでしか解決できないようなところまで来てしまった。

アラブ、祈りとしての文学

アラブ、祈りとしての文学

 村上さんは『約束された場所で』の冒頭で、次のように書かれています。

私が目指したのは、明確なひとつの視座を作り出すことではなく、明確な多くの視座を――読者のためにそしてまた私自身のために――作り出すのに必要な「材料」を提供することにあった。それは基本的には、私が小説を書く場合に目指しているものと同一である。

 今回のエルサレム賞受賞にあたっては、村上さんが大切に思う人たちからの心からの祝福と、イスラエルの読者からの温かい歓迎があることだろうと思います。その上でイスラエル占領政策―とりわけシオニズム―を批判するのは、とてもつらいことだろうということも承知しています。けれども、ユダヤ人のためだけに「約束された場所」は、たとえ完結しているとしても、不自然で間違った世界です。

 エルサレムを訪れるなら、どうかあなたの影を死なせずに、パレスチナの「古い夢」を解き放つ夢読みのもとに、手風琴を届けてください。それが、イスラエルの文学を豊穣にするために、村上さんこそがなしうる、最高の貢献なのだと思います。文中非礼がありましたらどうかお許しください。これからもご活躍を期待しています。

敬具

*1:村上春樹、『約束された場所』、文春文庫、2001年、p.10