外国人排除デモを排除します

 本日、カルデロン一家の両親がフィリピンに帰国しました。

 ・・・えー、誤報でした。本日、私たち日本人はカルデロン一家の両親を日本から強制退去させました、の間違いでした。すみません。

 2009年4月11日土曜日、日本でわたしたちと共に暮らす外国人を追い出そうという暴力的なデモが行われました。この「追い出しデモ」の主催者(在日特権を許さない市民の会)は、この地域に住む外国人を「犯罪者」扱いして彼ら彼女らの生活を脅かそうとしています。

 特に日本での滞在地位を求めるフィリピン人カルデロン親子を標的に、「不法入国・不法残留外国人」を追い出せというキャンペーンを行い、一家を個人攻撃しています。信じられないことに「追い出しデモ」は、カルデロン一家の子どもが通っていた小学校、そして現在通っている中学校の前をわざわざ行進ルートに入れているのです。

 とにかく映像を見てください。ありえないです。これらは不用品回収センターに電話すれば引き取ってもらえるんでしょうか?


 ひとりの人間の精神をズタズタにする「ことば」という暴力
 制度批判から人間の否定へと変調した「在特会」の狂気を告発し抵抗した人々を私は支持する

 ていうか、「在日特権」って何なんですか?都市伝説ですか?ちなみに、在日外国人がそれほど羨ましいなら、いつでも国籍を交換して差し上げます、と友人が言っておりますので、本気で前向きに検討していただけませんか?ご連絡お待ちしてます。

フィリピン人の身世打令=歴史

 それにしても日本と外国人労働者本国との間にある経済格差にふれる良心的な記事が、ほとんどフィリピンと日本の間の歴史にふれないのはなぜでしょー。フィリピン人の「身世打令」=歴史はききたくねーという無意識のよくぼーなのでしょーかー。

 lmnopqrstuの日記:「4月11日在特会デモという暴力について」
 http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090413/1239595919

 id:lmnopqrstuさんの指摘を受けて、内海愛子『戦後補償から考える日本とアジア』を読んだので、反省を込めて、ここで書いておきます。

 アジア太平洋戦争において、日本軍は住民を巻き込んだ地上戦をフィリピンで展開し、住民虐殺や略奪、強姦を行い、物資や労役、兵力の強制的な調達・動員を繰り返しました。日本軍がフィリピンに居座っていたせいで、連合軍からの爆撃を受けたフィリピンは、さらに多くの犠牲を強いられることにもなりました。

 日本の降伏後に米国が検討した初期の賠償案では、日本人の生活水準を侵略されたアジアの生活水準より高くしないことなどが要求されていましたが、この勧告は日本の占領経費増大を嫌う米国の都合によって実施されませんでした。

賠償は経済協力や貿易にとってかわり、アジアの被害者が手にするべき賠償金が、工場や橋やホテルに姿を変えた。工事を受注するのは日本企業であり、日本人技術者が役務を供与し、日本の工場で加工された機械などが相手国に送りだされていく。しかも原料が日本にないときには要求する国がそれを提供しなければならない。日本は相手が要求するモノを日本で生産し、加工する。それが日本に生産力をつけることになる。*1

 賠償は「商売」であり、形を変えた「貿易」とすらいわれている。衆議院主任調査員として賠償を担当した徳崇力は、日本が賠償として支払った金額は七一四八億円であり、国民一人あたりの負担額は約七〇〇〇円である。これに対し、ドイツは七兆円、一人あたりの負担額は八万八〇〇〇円にもなると指摘している(一九九四年六月二日、東京中央ロータリークラブでの同氏の講演)。*2

 こうした「貿易」賠償への姑息な流れに対しては、あくまで金銭賠償にこだわるフィリピンが先頭に立って抵抗しました。そのおかげで、日本とアジア諸国の人々との関係が、今以上には最低なものにならずに済んだ(可能性がある)ことについても、lmnopqrstuさんが指摘している通りです。

 lmnopqrstuの日記:「日本の戦後体制とフィリピン人の関係の歴史的基礎についてのメモ」
 http://d.hatena.ne.jp/lmnopqrstu/20090317/1237294887

 戦後の日本は、アジアの国々と人々に対して姑息にも賠償と補償(要するに謝罪)を避け(植民地支配と侵略によって収奪した富を戦後も相続・再生産し)てきただけでなく、朝鮮戦争を始めとする冷戦に協力し、それを利用することで、先進国になりました。

 実際、日本の国民総所得が戦前の水準に回復したのは、朝鮮戦争が始まる1950年でした。ついでに言えば、日本が近代化に成功したのも、フィリピンを含むアジア諸国に何重にも負っているのですが、それについては別エントリーで取り上げます。

 要するに、日本/日本人には、カルデロン一家を排除する資格はないということです。最初から。

 以下にフィリピン人の身世打令=歴史をいくつか。いずれも現代の日本/日本人に対する根源的な問いかけであると思います。

 谷川明生・本多勝一、『マゼランが来た』、朝日新聞出版、1992年

 AFP:「「それが地獄の始まりだった」、元慰安婦抗議の叫び - フィリピン」
 http://www.afpbb.com/article/1417133

 シバレイのたたかう!ジャーナリスト宣言。:「深刻化するフィリピンでの「超法規的処刑」 〜日本の経済協力プロジェクトも影響か?〜」
 http://www.actiblog.com/shiba/19195

 フィリピントヨタ労組を支援する会
 http://www.green.dti.ne.jp/protest_toyota/

週刊金曜日の終焉

 以下おまけ。

 先週の4/3号の週刊金曜日に「カルデロンのり子さん在留特別許可問題を考える 「人道」とは何なのか」という記事が掲載されていた。著者は木村哲郎テイーグ。

 「在留特別許可問題」というタイトルからして何一つ期待できねーという確信はあったけど、いちおう読んでみた。で、本気で驚愕した。

 まず、これが第一段落の終わりの二文。

当人の叔母家族が養育の面倒を見るとはいえ、一三歳の子どもが両親と離れて生きていく苦悩を創造するのは難しくない。もう少し人道的な配慮ができなかったのか。

 オーストラリアに住んでいるという著者は、次のように話を進める。 

 カルデロン家のケースが移民の国オーストラリアで起きたらどうなるのだろう・・・オーストラリア難民協会の関係者に尋ねると、「カルデロン家は難民ではない」と一蹴。難民とは政治的迫害を受けた者。出稼ぎに来たカルデロン一家は経済的な理由で来日。フィリピンに帰国すれば殺されるわけではない。例え彼らがオーストラリアにいても、同じような決定が下りたのでは、とのことだ。

 政府には国民を守る責務があり、言わばそれが政府という官の「人道的責任」。外国人を一人残すということは、自国民の雇用が脅かされることになる・・・カルデロン家の在留特別許可問題は、出るべき答えが出たのかもしれない。

 いつの間にか、外国人の排除こそ国家の「人道的責任」である、という話に。そして記事は次のように終わる。ていうか、終わっている。

 ただ、オーストラリア難民協会の関係者は、最後に個人的な意見を呟いてくれた。
 「カルデロン一家は南の楽園に遊びに来た英国人ではない。私に何かできるのなら、家族全員残したい。それが人権であり人道だ」
 ただ、人道とは何なのだろう。カルデロン家の在留問題に対する、正しい答えは何なのだろう。解決策は、見つかりそうにない。

  1. 政府はカルデロン一家に対してもっと人道的な配慮をするべきだった。
  2. 政府の対応こそ日本人に対する人道的な配慮だった。
  3. 人道とは何なのだろう?

 個人的には、週刊金曜日は、SAPIOよりも月刊『ムー』あたりに吸収されるとよい感じになるんじゃないかと思う。『ムー』のキャッチコピーは、「世界の謎と不思議に挑戦するスーパーミステリーマガジン」。ぜひ人道の「謎と不思議に挑戦」してもらいたい。

 アンチナショナリズム宣言:「週刊金曜日 日の丸の旗の下に・・・大集会」
 http://electric-heel.cocolog-nifty.com/blog/2008/10/post-7f83.html

*1:内海愛子、『戦後補償から考える日本とアジア』、山川出版、2002年、p.26

*2:同上、p.27